1958年秋、セダカはRCAとレコーディング契約を結び、セダカ/グリーンフィールドの曲「恋の日記The Diary」をレコーディングした。この曲はビルボード・チャートで14位を記録し、リトル・アンソニー&インペリアルズLittle Anthony and The Imperialsのカバー・レコードはチャートインできなかった(セダカは彼らのアレンジを嫌っていた)。
セダカが初めてビルボード・チャートのトップ10に入った曲は、キャロル・キングCarole Kingについて書いた「おゝ!キャロルOh! Carol」だった。
彼とグリーンフィールドは、50年代から60年代初頭にかけて、さらに多くの曲を世に送り出すことになる。コニー・フランシスConnie Francisの「フランキーFrankie」、「ボーイ・ハントWhere the Boys Are」、「ブロークン・ハートBreakin’ In A Brand New Broken Heart」、
エルビス・プレスリーElvis Presleyの「ソリテアーSolitaire」、ラバーン・ベイカーLaVern Bakerの「アイ・ウェイテッド・トゥー・ロングI Waited Too Long」、クライド・マクファターClyde McPhatterの「シンス・ユーブ・ビーン・ゴーンSince You’ve Been Gone」、
ロイ・ハミルトンRoy Hamiltonの「タイム・マーチーズ・オンTime Marches On」、ジミー・クラントンJimmy Clantonの「ホワッタ・アム・アイ・ゴナ・ドゥWhat Am I Gonna Do ?」、「アナザー・スリープレス・ナイトAnother Sleepless Night」、
「ウォーク・ウィズ・ミーWalk With Me」、「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズVenus In Blue Jeans」。