キャロル・キングCarole King(1942-現在)ニューヨーク・ブルックリン、ジェリー・ゴフィンGerry Goffin(1939-現在)ニューヨーク・ブルックリン
キャロル・キングはユダヤ人の両親のもと、キャロル・クラインCarol Kleinとして生まれた。4歳で熟達したピアニスト(神童)となり、10代前半にはソングライターとして活躍した。高校時代、キャロルはコサインズThe Co-Sinesという女の子だけのドゥーワップ・グループを結成したが、このグループがレコードを録音することはなかった。10代の高校時代、彼女は曲作りと歌に集中した。曲を書き歌って、デモ・レコードを数枚作ったが、どのレコード・レーベルからもリリースされることはなかった。キャロルはリトル・エバLittle Evaのために「ロコモーションLocomotion」という曲を書いた。
キャロルはそのレコードのバックで歌い、1962年にチャート1位を獲得した。キャロルは1958年に「ライト・ガールRight Girl」と「ワイルドWild」を書き、このレコード2枚を50年代にリリースした。
1959年には次作の「ベイビー・シッティンBaby Sittin’」と「クイーン・アット・ザ・ビーチQueen At the Beach」をリリースした。どちらのレコードも注目されることはなかった。
それでも高校時代に、仲間の生徒のポール・サイモンPaul Simonとチームを作ってコサインズThe Cosinesと呼んで、デモ曲「ジャスト・トゥ・ビー・ウィズ・ユーJust To Be With You」をレコーディングした。この曲は1959年にドゥーワップ・グループのパッションズThe Passionsがレコーディングし、ニューヨーク・シティ・エリアでドゥーワップの大ヒット曲となった。
キャロルは高校時代にジェリー・ゴフィンと交際し、夫となり、共同ソングライターとなる。17歳でゴフィンの子供をみごもった。キャロルの両親は、キャロルとジェリーができるだけ早く結婚するのがベストだと感じた。1959年8月30日、18歳のふたりはロングアイランドでユダヤ式の結婚式を挙げた。高校卒業後、ジェリーは海兵隊予備軍the Marine Corp Reserveに入隊した。海軍兵学校the U. S. Naval Academyで1年を過ごした後、海軍を辞め、ニューヨークのクイーンズ・カレッジQueens Collegeに入学した。