オーティス・ブラックウェルOtis Blackwell(1931-2002)ニューヨーク、ブルックリン
オーティス・ブラックウェルは、パフォーマーとしてではなく、ロックンロール誕生の曲を数多く書いた「ワンマン作曲工場」として最もよく記憶されるだろう。彼はリズム&ブルース、ドゥーワップ、ロカビリーのアーティストたちのために曲をたくさん書いた。オーティスは1,000曲以上の曲を書き、1億8,500万枚のレコードを売ったと推定される多作なソングライターだった。1931年にニューヨークのブルックリンで生まれ、10代でピアノを弾き、曲を書き始めた。子供の頃はリズム&ブルースを聴き、カウボーイのハリウッド映画でカントリー・ミュージックを聞いた。40年代後半には学校を辞め、映画館の清掃係やクリーニング店のプレス係など、いくつかの仕事を経験した。10代で黒人ソングライター兼パフォーマーだったオーティスは、1950年にニューヨークのアポロ・シアターthe Apollo Theaterで開催されたコンテストで優勝し、ジェイ・ディー・レコードJay-Dee Recordsとレコード契約を結んだ。
ジェイ・ディー・レコードで、彼はソングライティングに才能を集中するように言われた。オーティスは後に「私はソングライティングの世界に放り込まれた」と語っている。彼の大ブレイクは1955年12月に訪れた。6曲を書きデモをリリースしたところ、1曲150ドルで売れたのだ。エルビス・プレスリーはそのうちの1曲「冷たくしないでDon’t Be Cruel」を買い取り、1956年にレコーディング、ビルボード・チャートで1位を獲得した。
プレスリーはオーティス・ブラックウェルの曲「恋にしびれてAll Shook Up」で再びビルボード・チャート1位を獲得。
オーティスは1956年に「パラライズドParalyzed」、1962年に「心の届かぬラブレターReturn To Sender」、1960年に「メイク・ミー・ノウ・イットMake Me Know It」、1963年に「ワン・ブロークン・ハート・フォー・セールOne Broken Heart for Sale」など、エルビスのためにさらに多くの曲を書いた。