ロックンロール誕生 77

第7章

 ロックンロールのアーティストとソングライターの誕生、そして殿堂入りしたソングライターたち

私の残したレガシーの中で、ハーレムのストリート出身で、父の仕立屋に生まれ、このサウンドが永遠にアメリカや世界の文化の一部となるような環境を作ることができたということが、私にとってとても重要なのです。

 「ドン・カーシュナー、音楽プロデューサー、ニューヨーク市ブリル・ビルディング」

Amazon | Don Kirshner: The Man With the Golden Ear: How He Changed the Face  of Rock and Roll | Podolsky, Rich, Orlando, Tony | Rockブリル・ビルディングとティーンポップ

リトル・リチャードLittle Richard(リチャード・ウェイン・ペニマンRichard Wayne Penniman)(1932-現在)ジョージア州メーコン

Very Best of Little Richard (Dig)

リトル・リチャードは12人兄弟の3番目で、貧しい黒人信者の家庭でペニマン・シンガーズThe Penniman Singersとして教会で歌いながら育った。10歳の時、彼は教会で「信仰治療師」となり、歌い、人々に感動を与えた。10代半ばになると学校に興味を抱かなくなり、巡業公演に出演するようになった。1951年、リトル・リチャードはRCAカムデン・レコード RCA Camden Recordsで運よくブルース・ジャンプ・ソングをレコーディングした。

Little Richard "Little Richard" 1956 RCA Camden EP 416 Record = NM Cover =  VG++ | eBay

その1年後、父親が射殺された。1953年、リトル・リチャードはピーコック・レコードPeacock Recordsでレコーディングを開始した。

Little Richard "Maybe I'm Right" 1957 Peacock 1673 Record & Custom Picture  Slv45cat - Little Richard - Maybe I'm Right / I Love My Baby - Peacock - USA -  5-1673

1953年から1954年にかけては、目立った結果は残せなかった。しかし、1956年にピーコック・レコードから「ダイレクトリー・フロム・マイ・ハート・トゥ・ユーDirectly From My Heart To You」を発表し、これが後のソウルの典型となる作品となった。

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1955年までに、リチャードはソロ活動を休止し、アップセッターズThe Upsettersというバンドを結成した。

Little Richard and the Upsetters | Russ & Gary's "The Best Years of Music"LITTLE RICHARD参加☆THE UPSETTERS-『I'M IN LOVE AGAIN』 - MODERN RECORDS 3号店

友人のロイド・プライスLloyd Priceは、1955年2月にスペシャルティ・レコードSpecialty Recordsでデモ・レコーディングをすることを勧めた。

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スペシャルティ・レコードはそのデモに感銘を受け、ピーコック・レコードからリチャードの契約を買い取った。いくつかのスタジオ・セッションが失敗した後、リチャードはクラブのステージ・ショーで披露していた「トゥッティ・フルッティTutti Frutti」という曲を思いついた。

Amazon.co.jp: Little Richard - Tutti Frutti : リトル・リチャード: デジタルミュージックリトル・リチャード「Tutti Frutti」ロックンロールで最も偉大なイントロ

スペシャルティ・レコードはこの曲にとても気に入ったので、すぐにレコーディングさせた。しかし、同性愛的な行為が示唆されたので、録音前に修正した。リチャードは10代の頃、同性愛志向のために家族から追い出されたと書いている。その後、彼は両性愛であることが判明する。

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