ロックンロール誕生 10

ジョン・リッチボーグJohn Richbourg(1919-1998)、サウスカロライナ州マニング

CD Album - Ella Washington - He Called Me Baby – The Legendary John  Richbourg Sessions - Soulscape - UK

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ジョンRは、50年代半ばのWLAC局で、10代の白人聴衆に最も人気のあるディージェイだった(それ以前は、放送局は主に黒人の聴衆を対象にしていた)。彼の番組は毎晩午前1時から3時までだった。番組のスポンサーはアーニーズ・レコード・マートErnie’s Record Martで、ジョンRは番組でリズム&ブルースのレコードやアルバムを売っていた。

Ernie's Record Mart / Various

その時間帯に車を走らせていたティーンエイジャーのほとんどは、WLACラジオにダイアルを合わせて、お気に入りの黒人レコードを聴いていた。WLACとそのディージェイは、アメリカ中の黒人音楽をかけるディージェイの模範となった。アラン・フリードは、1952年にクリーブランドで黒人音楽をかけ始めた頃、WLACのディージェイたちを参考にしようと、夜、仕事から家に帰る車の中でWLAC局を聴いていたと後に話している。

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後にウルフマン・ジャックWolfman Jackとして知られるジャック・スミスJack Smithは、ラジオのディージェイになるに当たってジョン・Rが最も大きな影響を及ぼしたとしている。

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10代の頃、仲間とニューヨークのブルックリンで夜な夜なジョンRを聴いていた。ウルフマンは後にナッシュビルへ行き、ジョンRからラジオ・ビジネスを学んだり見たりした(ウルフマン参照)。
WLAC局のディージェイ、特にジョンRに心を動かされたのは、ラジオのディージェイだけではなかった。「ソウルのゴッドファーザー」、ジェームス・ブラウンJames Brownは、1956年にキング・レコードに見出された。

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キング・レーベルKing labelからリリースされた彼の最初のレコードは「プリーズ、プリーズ、プリーズPlease, Please, Please」という曲だった。

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キングは、3人のディージェイがブラウンのレコードをかけることを期待して、この曲をWLAC局に送った。そのレコードはWLACのデスクに数週間置かれたが(ある時はゴミ箱に捨てられ、掃除のおばさんによってディージェイのデスクに戻された)、ジョンRがそれを取り上げ、一晩に何度もレコードをかけ始めた。
50年代半ばになると、アメリカ中のディージェイのもとには、メジャーやインディペンデントのレコード・レーベルから1日に100枚以上のレコード(現在ではロックンロールと呼ばれている)が届き、自分たちのレコードをかけてもらうことを願っていた。50年代半ば、多くの大手レコード会社や独立系レコード会社が、ロックンロールのレコード販売を競っていた。これらの会社は、WLACのリスナーが毎日1,500万人を超えることを知っていた。50年代後半になると、アメリカ中のディージェイがレコード会社から多額の金と高価な贈り物を受け取ってレコードをかけるのが一般的になった。ジョンRは、ブラウンの曲が気に入り、自分の番組で何度もかけるに値すると感じたと後に話している。
1980年代、ジョンRはガンで死にかけ、一文無しで医療費もなかった。ジェームス・ブラウンはジョンRの問題を聞きつけ、自分のショーをすべてキャンセルし、ジョンRの家に行って、自分のリズム&ブルースのショーを通じてジョン・Rの治療費を集めた。ジェームス・ブラウンはいつも、自分の成功はジョン・Rのおかげであると感じていた。さらに重要なことは、白人ティーンエイジャーたちが後にこの黒人音楽を自分たちの音楽にすることになるのだが、彼らにこの黒人音楽を売り込んだのが、パイオニア的ディージェイであるジョンRとWLAC局のディージェイたちであり、それがロックンロールの誕生につながった。