ロックンロール誕生 16

アランフリード⑤

1957 Alan Freed Mr. Rock and Roll Movie PosterMister Rock and Roll (1957)

アラン・フリードの問題は、1957年にアメリカン・バンドスタンドAmerican Bandstandとディック・クラークDick Clarkに対抗することを決めたときから始まった。

American Bandstand (Series) - TV TropesThe Emergence of Dick Clark and American Bandstand

1957年、フリードは自分のダンス・テレビ番組を持つチャンスを得た。その番組はABC局で、「ザ・ビッグ・ビートThe Big Beat」という名前だった。

The Big Beat: Alan Freed, Channel 5 and TV's first interracial teen dance  show | FOX 5 New York

フリードは自分の番組にフランキー・ライモンとティーンエイジャーズFrankie Lymon and The Teenagersを出演させた。

May 4, 1957...America's First Prime Time Rock n Roll Show Debuts - Eyes Of  A Generation...Television's Living History

ティーンエイジャーズの演奏中に、リトル・フランキーは客席から10代の白人少女を引っ張り出し、一緒に踊り始めた。ABC局はすぐに(南部のABC系列局からの圧力で)フリードの番組を取りやめた。彼は1958年に再びテレビのダンス番組に挑戦する。番組は1958年から1960年まで続いた。
フリードは、アメリカ国内のロックンロール音楽に対する敵意を分かっていた。「ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clock」、「ロック、ロック、ロックRock, Rock, Rock」、「ドント・ノック・ザ・ロックDon’t Knock the Rock」、「ミスター・ロックンロールMr. Rock ‘n’ Roll」、「ゴー、ジョニー、ゴーGo, Johnny, Go」の5本のハリウッド映画を製作し、白人中心の大人文化にこの音楽を売り込もうとした。

Rock Around the Clock (1956) - IMDbRock Rock Rock! (1956) - IMDbDon't Knock the Rock (1956) - IMDb

Mr. Rock 'n' Roll: The Alan Freed Story (TV Movie 1999) - IMDbGo, Johnny, Go! - Wikipedia

1958年になっても、彼はロックンロール・ショーに対する敵意に直面し続けた。
フリードはボストン地区でのロックンロール・ショーを予定していた。フリードは、基本的にボストンではショーをするなと言われた。フリードは脅しを無視してショーを強行した。ボストン警察はショーを規制するために大挙して出動した。フリードのショーの途中で、警察は暴動(政治的)が起きる可能性があるとしてショーを中止することを決定した。ティーンエイジャーたちは非常に憤慨してショーから去り、アリーナの外で暴動を起こした。一人のティーンエイジャーがナイフで刺された。フリードはすぐに逮捕され、投獄させられた。翌日保釈金を払って出た。大陪審は暴動を引き起こした罪で彼を起訴した。フリードの裁判は後で行われることになった。その後、市は起訴を取り下げることになる。フリードはその後数年間、彼の前に立ちはだかる問題に、思いもよらなかった。フリードはボストンでのショーの直後にWINS局を解雇されることになる。
ラジオ・テレビ業界のモラルを調査するため、1952年に下院立法監視小委員会が設置された。1959年、委員会はあるテレビ会社が不正なクイズ番組で視聴者を騙していたことについて調査を開始した。1959年末、委員会は特定のテレビ会社が不正なクイズ番組を行っていたと結論づけた。委員会は、ラジオ・テレビ業界に対するこれ以上の調査を行わないことを決定した。
ASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会American Society of Composers, Authors and Publishers)は、ロックンロール業界、特にリズム&ブルースとカントリー・ミュージックを代表するBMI(放送音楽協会Broadcast Music International)を長年嫌っていた。ASCAPが下院立法監視小委員会に圧力をかけ(書簡を送り)、ラジオがレコード会社からペイオーラを受け取っていることを調査させたと言われている。委員会は、アラン・フリードやディック・クラークを含む5人のラジオDJを召喚した。