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初期ドゥーワップ・グループには、ハービー・フークアHarvey Fuquaをリード・シンガーとするムーングローズThe Moonglowsもいた。
彼らは1952年、アラン・フリード自身のレコード・レーベル、シャンパーニュ・レコードChampagne Recordsでレコーディングを開始した。ムーングローズはその後、シカゴのチャンス・レコードChance Records、後にチェス・レコードChess Recordsでもレコーディングした。1954年、チェス・レコードからリリースされた「シンシアリーSincerely」が最初のヒットとなった。
この曲のカバー・レコードを、マクガイア・シスターズThe McGuire Sisters(白人ポップ・グループ)が出して、オリジナルの売り上げを大きく上回った。
この曲はハービー・フークアが書いたが、レコードにはハービーとフリードの名前がある。フリードはムーングローズを発掘し(クレイジー・サウンズThe Crazy Soundsからムーングローズに改名させた)、グループを宣伝して成功させた。ボーナスとして、フリードは彼らのレコードに共作者としてのクレジットを要求した。同じことが、「メイベリーンMaybellene」という曲を書いたチャック・ベリーとの間にもう1度起こることになる。
フリードは後に、「メイベリーン」の印税をベリーに返済すると約束する。彼はベリーに返済する前に亡くなった。
ムーングローズは、ドゥーワップ時代の偉大なレジェンドのひとつと伝えられている。フラミンゴズもまた、初期のドゥーワップ・グループで、チャンスChance、チェスChess、パロットParrot、デッカDecca、エンド・レコードEnd Recordsでレコーディングした。フラミンゴズは、ドゥーワップ時代の最も偉大なハーモニー・グループのひとつと見なされることに違いない。最大のヒットは1959年の「瞳は君ゆえにI Only Have Eyes For You」である。