ロックンロール誕生 19

ディック・クラーク②

American Bandstand's Dick Clark Dies at 82 | Sonoma Valley, CA Patch

クラークは自伝の中で、「アメリカン・バンドスタンド」の番組のために、ティーンエイジャーたちがどんなロックンロール・ソングを買い、聴いているのかを知ろうと、フィラデルフィア周辺のローカル・ラジオのディージェイたちをいかに頼りにしていたかに触れている。クラークはアラン・フリードの失敗を忘れずに、「アメリカン・バンドスタンド」が番組で、白人と黒人が一緒に踊るのを許可するまで1年待った。クラークは著書の中で、ロックンロールはアメリカにおける、かすかな人種差別撤廃の始まりだったと述べている。
1957年、ファッツ・ドミノFats Dominoがフロリダ州デイトナビーチを訪れ、地元の公会堂(ピーボディPeabody)で公演を行った。

Fats Domino Singles AlbumPeabody Auditorium - Who's Hot Online

ショーには数人の警察がいて、黒人が階上席に上がり、白人は階下席に留まっているのを確認した。50年代のフロリダは黒人差別のあるジム・クロウの国だった。ファッツが彼の曲「エイント・イット・ア・シェイムAin’t It A Shame」を演奏し歌い始めると、階上席は黒人のティーンエイジャーたちがファッツの音楽に合わせて通路で踊るために揺れ始めた。

Amazon.co.jp: Ain't That A Shame : ファッツ・ドミノ: デジタルミュージックAin't That a Shame - Wikipedia

30秒もしないうちに、白人のティーンエイジャーも通路で音楽に合わせて踊っていた。アメリカのロックンロール・ミュージックがかすかな人種差別の撤廃を引き起こしたということについて、クラークは正しく理解していた。ロックンロールの誕生と公民権運動がアメリカでほぼ同時期に始まったのは偶然ではない。
クラークの私生活(妻とは離婚)はペイオーラ捜査によって破壊されるが、ビジネスでは立ち直る。しかし、彼はこの経験を精神的に乗り越えることはできなかった。ディック・クラークをどう思おうとも(自分の身を守るためにハリス委員会Harris Committeeでウソをついたと感じる人もいた)、レコード会社から金銭や贈り物を受け取ったことをペイオーラの公聴会で否定したことによって、アメリカのティーンエイジャーと素晴らしい関係を築き、「アメリカン・バンドスタンド」でアメリカ中の親たちにロックンロールの非常にポジティブなイメージを与えたのだから、アメリカにおけるロックンロール・ミュージックの偉大な代表のひとりとして記憶されるだろう。

Alan Freed, Dick Clark and the Radio Payola Scandal

2012年に死去。ロックの殿堂入りしている。