ロックンロール誕生 7

第2章

第二次世界大戦後のラジオ産業とディージェイ、そしてロックンロール誕生まで

「やあみんな、ジョンRだ。ずっと南のディキシーのど真ん中に戻って来たんだ。アーニーズ・レコードに復帰したよ」ジョンR John R テネシー州ナッシュビル、WLACラジオ局

Music City Concert History - The Roots of Rhythm & Rock-A Tribute to the  Legendary John R.-The Hitmaker-March 26, 1985 at the Grand Ole Opry  House-Nashville,TN.... | Facebook

ディージェイは、ラジオ局がラジオの生演奏からレコードを回すようになった結果、生まれた。この変化は、第二次世界大戦の直後、ロックンロール誕生の前に起こった。ラジオ局は、レコードをかける方が、はるかに費用対効果の高いことに気づいた。しかし、ディージェイは常にリズム&ブルースやロックンロール・ミュージックと結びついてきた。ラジオ番組、ハリウッド映画、ライブ演奏のステージ・ショーで、アメリカにリズム&ブルースとロックンロール・ミュージックを情熱的に広めた。

ハンター・ハンドコックHunter Hancock(1916-2004)テキサス州ウバルデ

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ハンター・ハンコックは、アメリカ西海岸で黒人音楽、のちにロックンロールをかけた最初のディージェイのひとりである。彼は1948年に黒人音楽をかけ始め、西海岸でこの音楽をかけた最初の白人ディージェイであった(彼の主張)。当時のディージェイのほとんどと同様に、自分のラジオ番組を完全にコントロールしていた。50年代半ばに白人のティーンエイジャーが黒人音楽を聴き始めるまで、当初は白人の音楽をかけることを拒否していた。(1959年のぺイオーラ事件の後)トップ40の番組構成がラジオを支配した後、彼は1966年にラジオ・ビジネスから退いた。何を話すべきか、何を流すべきかを指示されることを拒否したのだ。
50年代、彼はカリフォルニア西海岸中の白人ティーンエイジャーの間で大人気だった。黒人音楽をかけるディージェイの先駆者たちの例に漏れず、ハンコックも黒人らしく聞こえ、本物の黒人文化と思わせた。自分のラジオ番組で、エルモサ・ビーチ・ホテルthe Hermosa Beach Hotelで演奏していたLAエリアのドゥーワップ・グループを好んで宣伝した。

The long, strange journey of Hermosa Beach's Biltmore Hotel | South Bay  History

10代の白人文化に黒人音楽を紹介した西海岸初のディージェイと言われている。