4-21.デニスDenise-ランディとレインボーズRandy & The Rainbows(ニール・レベンソンNeil Levenson)
63年5月ラストRustのシングルとして発売:R&B18位、ポップ10位
「デニス」はドゥーワップ時代に全国でヒットした最後の『グループ・レコード』で、1963年夏にトップ10に入ったが、それはケネディ暗殺とビートルズが状況を変えたわずか数か月前のことだった。もちろん他のレコードもその後の数年間、多くのドゥーワップ要素を表現していて、特に当時もっと人気のあったガール・グループ(クリスタルズThe Crystals、ロネッツRonettesなど)や数名のモータウンthe Motownアーティスト(とりわけテンプテーションズThe Temptations)が該当したが、ほとんどの場合、ドゥーワップはアーティストのトレードマークではなかった。
クイーンズ地区マスぺス出身のこのグループは、かつて、1960年にジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのゴールディスク・レーベルGoldisc labelからレコードを出したサフート兄弟the Safuto brothersを中心にしていた。
ブライト・チューンズ・プロダクション・カンパニーBright Tunes Production companyを経由してレコード・プロデューサーをたくさん輩出したトーケンズThe Tokensと関係を持つまでに、この兄弟はジュニア・アンド・ザ・カウントJunior & The Countsという名前の新5人組を結成した。
「デニス」が独立系レーベルのローリー・レコードLaurie Recordsに決まると、グループ内に誰もランディがいないにもかかわらず、ある天才がランディとレインボーズという名前に変えたが、そういうことはポップ・ミュージックではよくあることだ。
次にほとんどそっくりの「ホワイ・ドゥ・キッズ・グロー・アップWhy Do Kids Grow Up」を出して、すぐに全国の舞台から消え、60年代、70年代に小さなレーベルからたくさんのシングル・レコードを出した。
80年代初めになると、グループを少し再構築して、アンビエント・サウンド・レコードAmbient Sound recordsから素晴らしいアルバムを2枚出した。