4-10.ダディーズ・ホームDaddy’s Home-シェップ・アンド・ライムライツShep & The Limelites(ジェームス・シェパードJames Sheppard、ウィリアム・ミラーWilliam Miller)
61年2月1日録音、61年3月ハルHullのシングルとして発売:R&B4位、ポップ2位
意外な展開があった――それはあるシンガーがビッグ・ヒットを出し、5年後に別のグループで戻って来て、最初の曲へのアンサー・ソングを再びヒットさせた。それは、ハートビーツThe Heartbeatsとシェップ・アンド・ライムライツShep & The Limelitesの両方で忘れられないリード・ボイスだった、ジェームス・シェップ・シェパードJames “ Shep” Sheppardの話だ。
シェパードの物語は、決して幸せなものではなかった。50年代半ばにハートビーツでヒットを出した後、彼とグループは好きなようにやっていたが、1959年に彼のエゴが障害をきたして、人々が彼と一緒に仕事をするのを不可能にさせた。しかし、1960年、最初のドゥーワップ・リバイバルが訪れた直後、「ア・サウザンド・マイルズ・アウェイA Thousand Miles Away」の権利を56年にハル・レーベルHull labelから買ったルーレット/ラマRoulette/Ramaがこのシングルを再発行し、全国の下位の方に2回目のチャート・インを果たした。
シェパードはおそらく自分の最大ヒットの復興に刺激を受けて、かつてビデオスThe Videosにいた昔の友人二人と一緒になって、その曲のアンサー・ソングである「ダディーズ・ホーム」のレコードをハルから出した。
それがとんでもないヒットになってポップ・チャートの2位まで上った。
グループは数年間一緒にいて、1962年に「アワ・アニバーサリーOur Anniversary」でマイナー・ヒットを出した。
しかし1965年までに、以前と同じ問題――シェップのエゴ――が浮上して、昔の友人が出て行った。ここから話はちょっと嫌なことになる。1970年初め、シェップ・アンド・ライムライツがノスタルジア・ブームを利用して新しくなったちょうどその時、シェップがロングアイランドのハイウェイで、車中において打たれて死んでいるのを発見された。シェップが死んで、非常に才能のあるボーカリストを失ってしまった。