4-9.トゥナイト・アイ・フェル・イン・ラブTonight I Fell In Love-トーケンズ、フィールズ・マデラ・オーケストラとともにThe Tokens, ウィthFields-Madera Orch.(ミッチェル・マーゴMitchell Margo、フィリップ・マーゴPhilip Margo、ヘンリー・メドレスHenry Medress)
61年1月ワーウィックWarwickのシングルとして発売:ポップ15位
トーケンズは音楽業界では特別なキャリアを持っていて、ドゥーワップ・スタイルのボーカル・グループとしてスタートし、長い年月の間にトップ・プロデューサー、ソングライター、レコード・レーベル幹部になった。自身と同じように他の演奏者(シフォンズThe Chiffons、ハプニングスThe Happenings、その他多くの者たち)のプロデュースやレコーディングでも成功し、トーケンズは今日でもほとんど元のままでいる。
しばらくの間、ティーン・アイドルのニール・セダカNeil Sedakaはグループを始めたと考えられていたが、それは事実ではない。
彼と将来のトーケンズの一人であるハンク・メドレスHank Medressは、1956年に一回だけメルバ・レーベルMelba labelで、トーケンズの名前の下にシングル(「ホワイル・アイ・ドリームWhile I Dream」)をレコーディングしたが、その後すぐにグループは解散し、5年後に、メドレスが自分の集めた新グループのために名前が必要になって、トーケンズを再び持ち出したのだ。
それは1961年で、新グループとしてのトーケンズは全国ヒットを2曲放った――ここでジェイ・シーゲルJay Siegelの素晴らしいリード・ボーカルと格好いいハーモニーを初めて披露したドゥーワップの名作ができ、アフリカの歌の「ンブゥベMbube」を独特に改作した(それが成功した)が、それはつまり「ウィモウェWimoweh」で、「ライオンは寝ているThe Lion Sleeps Tonight」と訳した。
60年代に入ってかなり経っても、トーケンズはレコードをヒットさせ続けていたが、その頃、ほとんどのボーカル・グループは自分たちの世界に何が起こっていたのかを理解していなかった。60年代初め、彼らは自分たちの制作会社のブライト・チューンズBright Tunesを設立したのは賢明で、1964年には自分たちのレーベルであるビー・ティー・パピーB. T. Puppyも同様に設立した。
1969年にトーケンズのヒット曲が出なくなると、当時自分たちで録音した数えきれないほどのテレビ・コマーシャル・ジングルに頼り、1963までに新しい名前、クロス・カウントリーCross Countryで再びチャートに戻った。