4-5.ザ・ウインドThe Wind-ジェスターズThe Jesters(ノーラン・ストロングNolan Strong、クエンテン・ユーバンクQuenten Euband、ウィリー・ハンターWillie Hunter、ジュアン・ギタリエッツJuan Guiterriez、ボブ・エドワーズBob Edwards)
60年5月ウィンレーWinleyのシングルとして発売:ポップ111位
ジェスターズは、同じレーベルの仲間であるパラゴンズThe Paragonsと一緒に、漠然とドゥーワップの『ニューヨーク』サウンドと呼ばれていたものを具体化させるようになったが、レコードにはっきり現れた特定の『感じ』以外に、彼らのサウンドがそのグループらしさを醸しだすものを完全に突き止めることは難しい。
最初に聞いたのは1957年で最初のシングル(「ソー・ストレンジSo Strange」、「プリーズ・レット・ミー・ラブ・ユーPlease Let Me Love You」、「ザ・プリ―The Plea」がイースト・コーストのラジオで長期間かかり、全国でもかかった時だが、グループはハーレムの中学校で一緒になり、アポロ・シアターApollo Theatre のアマチュア・コンテストで3回優勝した後に、独立系のウィンレー・レーベルWinley labelと契約した。
しかし、58年半ばまでに、輝かしいドゥーワップ・グループによくあることだが、オリジナルのカルテットは分かれ、徴兵されて去ったものもいたし、他は個人的な理由だったりした。しかし、1959年に、ウィンレーの流通業者のジェリー・ブレインJerry Blaineは、市内中のストリート・コーナーコンテストから生まれる『グループ対抗戦』という、コンセプトに基づいたアルバムを作るという素晴らしいアイデアを思いついた。
ザ・パラゴンズ・ミート・ザ・ジェスターズThe Paragons Meet The Jesters――革を着た二人のJDs(非行少年)をフィーチャーした忘れられないジャケット・カバー――は、イーストコースとの伝説になりジェスターズへの関心が再生した。
ジャクソンJacksonは、オリジナル・メンバーのジミー・スミスJimmy Smithや新しく採用した二人と一緒に新グループを作り、LPリリース後の数か月後に、1954年のノーラン・ストロングとダイアブロスNolan Strong & The Diablesの「ザ・ウィンドThe Wind」を作り直したニュー・シングルをレコーディングした。ジェスターズがこの曲を出したタイミングは良くて、最初のノスタルジアのリバイバルがちょうど来ていて、レコードはまたもやイースト・コーストでヒットした。