4-4.シミー・シミー・ココバップShimmy, Shimmy, Ko-Ko-Bop-リトル・アンソニーとインペリアルズLittle Anthony & Imperials(ボブ・スミスBob Smith)
59年9月29日録音、59年11月エンドEndのシングルとして発売:R&B14位、ポップ24位
リトル・アンソニーはいつもこの曲(「ティアーズ・オン・マイ・ピローTears On My Pillow」も好きでなかったように見える)を嫌っていたが、彼とのそのグループにとって50年代後半の2番目に大きなヒット曲だった――かなり頻繁にチャート入りしていたことになる。
レーベルのボスであるジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerはノベルティ・ソングの門外漢ではなく、1956年の試験的なレコードであるブキャナンとグッドマンBuchanan & Goodmanの「フライング・ソーサーFlying Saucer(Parts 1 & 2)のヒット曲発売に、『非公式』ではあったが手伝い、トレンドにはいつも即座に飛びついた。
「シミー・シミー・ココバップ」は、臆面もなくジャングルの雰囲気(この時代にわたって繰り返し現れたモチーフ)を出し、すぐにヒットし、何年もロックンロールの歴史の中でエピソードを繰り広げた。この曲はアラン・フリードAlan Freedが掛けた最後の曲で、彼はペイオーラ事件の尋問で破滅した後、放送に関しては1960年にニューヨークのWABCを辞めている。
幸いにもゴールドナーはグループにノベルティ系の曲を押し付けることを続けず、ゴールドナーが去った後60年代半ばまでに、グループは最大のヒット曲である1964年の「ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッドGoin’ Out Of My Head」を出した。
アンソニーは、ポップに転向して成功した数少ないドゥーワップ・スターの一人だが、後に歌わなくなったドゥーワップの名作が、今でも有名であり、最も崇拝されているのだ。