3-25.ロッキン・イン・ザ・ジャングルRockin’ In The Jungle-エターナルズThe Eternals(カルロス・ジローナCarlos Girona、ウィリアム・マーティンWilliam Martin)
59年5月ハリウッドHollywoodのシングルとして発売:ポップ78位
ロシアとアメリカの間の宇宙競争は1950年代半ばから終わりにかけてすべての人の注目を集めた(もっともティーネージャーは、トランジスターやラジオの部品でできた人工衛星よりもスター達に、より関心があったようだ)。しかしジャングルからの鳴き声――技術的、社会学的に、この上なく宇宙の神秘とはかけ離れている――は、アメリカの若者にとって、同じように関心があったようだ。キャプテン・ビデオ・アンド・ヒズ・ビデオ・レンジャーズCaptain Video And His Video Rangersは50年代初めにテレビで人気があったが、ターザンTarzan、ジャングル・ジムJungle Jim、ラマー・オブ・ジャングルRamar Of The Jungleも子供の時間には同等に張り合っていた。
この時代の多くのロックンロールの曲がこの魅惑に応じたことは、それが音響効果(ボーカルであれ、何であれ)であろうが直接に歌詞であろうが、驚きに値しない。そして、エターナルズもまた、ブロンクス出身の白人ドゥーワップ・グループであって、ニューヨークのDJのカズン・ブルーシーCousin Brucieとの関係を利用し、絶えず存在するレコード業界のやり手のモーティー・クラフトMorty Craftや、彼のハリウッド・レーベルHollywood labelを1959年のジャングルヒット2曲へとつなげた。
この2曲のうちでより成功したのは、「ロッキン・イン・ザ・ジャングル」(別の曲は「ババルーズ・ウェディング・デイBabalu’s Wedding Day」で、ライノ・レコードRhino recordsのロッキン・アンド・ローリン・ウェディング・ソングズRockin’ & Rollin’ Wedding Songs, Vol.2)は、グループ・リーダーのジェローナGeronaが書き、クラフトが自分のやりたいようにやる前は「クリスマス・イン・ザ・ジャングルChristmas In The Jungle」で始まった。
「ババルーズ・ウェディング・デイ」は順調に進んで「ロッキン」を超える途中で、流通を絡んだ質の悪い訴訟問題に待ち伏せを食らった。2曲とも今日オールディーズ・ラジオで人気を保っていて、改作された「ババルーズ・ウェディング・デイ」は60年代のニューヨークのDJの一人のテーマ・ソングになった。