3-5.アイ・ワンダー・ホワイI Wonder Why-ディオンとベルモンツDion & The Belmonts(メルビン・アンダーソンMelvin Anderson、リカード・ウィークスRicardoWeeks)
58年4月ローリーLaurieのシングルとして発売:ポップ22位
自分たちの宣伝に当たって名前を一つしか使わないでやり過ごせたポップの演奏者はどれほどいただろう?ディオン(ディムーチ)Dion(DiMucci)は、それができたし今でもそうしている。
ブロンクスの自分の近所のたくさんの友達と一緒に、ディオンはベルモンツ(地元の大通りに由来する)を結成し、小さなモホーク・レコードMohawk recordsで色々試みて失敗してから、この名曲で全国チャートでのヒットを出したが、それはつまり、『ネオ・ドゥーワップ』と呼ばれるスタイルで歌う、イタリア系の白人が大部分のアメリカ人グループにとって、最後の手段だった。
昔ながらのドゥーワップの伝統では、この曲はバスのカルロ・マストランジェロCarlo Mastrangeloによる絶品のナンセンス・シラブルの連続で始まり、そこから展開していく。
ベルモンツにはディオンの声を引き立たせる非常にはっきりしたサウンドがあり、ディオンがソロ(実際にはソロでなく、ほとんどの場合デル・サテンズThe Del Satinsがバックを提供していた)になって「浮気なスーRunaround Sue」、「ザ・ワンダラーThe Wanderer」などを自力でヒットさせる前は、グループがⅠ958-1960年にたくさんのヒットを出した。
ベルモンツ自体はディオン抜きで60年代初めに2年間レコードを出し、さらに2曲(「クモン・リトル・エンジェルC’mon Little Angel』と「テル・ミー・ホワイTell Me Why」」ヒットを出した。
60年代後半に彼らはレコード・アルバムのシガーズ・アカペラ・キャンディーCigars, Acappella, Candyを出して、批評家たちから絶賛され、1972年にはマディソン・スクエア・ガーデンで素晴らしい1回限りの再結成コンサート(現在、ライノRhino 70228として入手可能)のためにディオンと再び一緒になった。
ディオンは60年代後半につらい個人的な経験を経て、70年代と80年代に生まれ変わったクリスチャンとして現れ、熱狂的なニューヨークのファンをなだめるために時折表に出た。