3-1.ビーン・ソー・ロングBeen So Long-パステルズThe Pastels(ディフォスコ・アービンDiFosco Ervin、リチャード・トラビスRichard Travis、アンソニー・トーマスAnthony Thomas、ジェームス・ウィリンガムJames Willingham)
57年9月26日録音、57年11月マスコットMascot のシングルとして発売、57年12月アーゴArgoのシングルとして再発売:R&B4位、ポップ24位
そうなんだ、このグループはグリーンランドの出身ではなく、米空軍のおかげでそこに駐留したのであって、実は、全米から来たんだ――ニューヨーク、ミネソタ、オハイオ。1955年に、当時『ファット・ダディ』アービン軍曹と呼ばれていたアーウィンによって結成され、1956年の空軍タレント・ショーでデル・バイキングスThe Dell Vikingsと(歌)で争った(デル・バイキングスは「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」を歌って勝った)。
未だ軍務中に、新たに作曲した「ビーン・ソー・ロング」で、ハル・レコードHull Recordsのビー・カスリンBea Kaslinのオーディションを受け、その場で契約した。
そのレコードは彼女のちっぽけな子会社レーベルのマスコットMascot(モノトーンズThe Monotonesの「ブック・オブ・ラブBook Of Love」も出していた――カスリンのA&Rチームは確かに良い耳を持っていた)から発売され、すぐにチェス・レコードChess recordsに見いだされて、その子会社のアーゴ・レコードArgo recordsから全国リリースされた。
アーウィンの特徴的な声は、エコーを強くかけたグループ・コーラスと相まって、「ビーン・ソー・ロング」をドゥーワップ時代の趣のあるバラードの一つにさせ、70年代におけるオールディーズの最初のパッケージ・テレビ広告の優れた『サンプル』の一つになった。
グループは「ソー・ファー・アウェイSo Far Away」を似たサウンドにして再びヒットを狙ったが、うまく行かず、最初のレコードから1年足らずで解散した。
アーウィンは、もちろん1963年に「スィンギン・オン・ア・スターSwingin’ On A Star」を彼自身(リトル・エバLittle Evaがバックで歌った)の全国ヒットとし、同じ年に、ディメンション・レコードDimensionから優れたノベルティの曲を数曲(「ハッピー・ビーイング・ファットHappy Being Fat」等)出した。