2-22.ロング・ロンリー・ナイツLong Lonely Nights-リー・アンドリュースとハーツLee Andrews & The Hearts(ミミ・ユニマンMimi Uniman、バーニス・デイビスBernice Davis、リー・アンドリュースLee Andrews)
57年6月メイン・ラインMain Lineのシングルとして発売、57年7月チェスChessのシングルとして再発売:R&B11位、ポップ45位
リー・アンドリュースの滑らかでポップのようなボーカルを、ナット・キング・コールNat “King” Coleと間違えることは、二人の声がとても似ているので、珍しいことではない。
アンドリュースの本名はアーサー・リー・アンドリュー・トンプソンArthur Lee Andrew Thompsonと言い、ノースカロライナ出身であり、1952年にゴスペル育ちの自分のグループをフィラデルフィアにおいて結成した。レインボー・レコードRainbow recordsとゴサム・レコードGotham recordsから、一連の素晴らしいレコード――お蔵入りになった初期の2曲(「ロング・ロンリー・ナイツ」と「トライ・ザ・インポッシブルTry The Impossible」を含む) は最後にはグループのヒット曲になる――を出したが無視された後、ニューヨークの有名DJで、たまたまレコード会社の共同経営者だったジョコ・ヘンダーソン”Jocko” Hendersonと組んだ(当時はそれほど珍しい慣行でない。ディック・クラークDick Clarkなどを見よ)。
グループは「ロング・ロンリー・ナイツ」をジョコのレーベルのメインラインMainlineでレコーディングし、地方で放送されてクイック・スタートを切った後、ヘンダーソンはアトランティックを断った後にチェス・レコードChess recordsにリースした。アトランティックはその後、スター・ボーカリストのクライド・マクファターClyde McPhatter(ドミノスDominoesとドリフターズDriftersで名をはせた)にこの曲をレコーディングさせたが、どちらのバージョンもトップ10には入らず、ポップ・チャートの40位台半ば止まりだった。
グループは続いて他に2曲のビッグ・ヒットの「トライ・ザ・インポッシブルTry The Impossible」と「ティアドロップスTeardrops」があり、カバー・バージョンと競う必要がなかった。
アンドリューは結局、バックを付けたり付けなかったりして、60年代、70年代、80年代にわたって様々なレーベルで20曲を超えてレコードを出し、すべてのドゥーワップの中で最も滑らかで最も特色のあるリード・ボーカリストだった。