2-6.リトル・ガール・オブ・マインLittle Girl Of Mine-クレフトーンズがジミー・ライトと彼のオーケストラThe Cleftones, with Jimmy Wright & His Orch.(ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldner、ハーバート・コックスHerbert Cox)
56年3月ジーGeeのシングルとして発売:R&B8位、ポップ57位
クレフトーンズは、最初のシングルの「ユー・ベイビー・ユーYou, Baby, You」が、1955年にジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerの復活させたジー・レーベルGee labelの最初のシングルということで有名だが、2枚目に「リトル・ガール・オブ・マイン」をリリースして本当に有名になった。
クイーンズのジャマイカ・ハイ・スクールで結成されたクレフトーンズは、その時にしか起こらなかった経験の後ジー・レーベルと契約した。今は銀行の経営者として成功してるハービー・コックスHerbie Coxが言うように、ニューヨーク42番街にあるラマ・ジーRama/Geeオフィスに初めて行ったとき、ワイシャツ姿で箱を積み重ねている男にかなり荒々しい態度で迎えられた。
ジョージ・ゴールドナーのオーディションを受けるアポを取ったグループだと言われると、その労働者は2~3分待てと言い、それから一続きの改題を上がって行った。クレフトーンズがようやく会場に上がると、同じ男と出くわした――その男はスーツを着てジョージ・ゴールドナーとしてあいさつした。
クレフトーンズは1956-57年の出番が多く、DJアラン・フリードAlan Freedのステージ・ショーは9回(フリードとゴールドナーの関係はとても緊密だった)で、その期間にヒット曲が3つあった。
しかし、50年代半ばにヒット曲を1つか2つ出してその後消えていった多くの-ティーネージ・グループとは異なり、クレフトーンズはゴールドナーのところで50年代の終わりまで居続けて、もし注目されなくても着実にレコードを出した。その後1961年には、彼らのキャリアが大きく上向いて、さらに2曲のビッグ・ヒット、「ハート・アンド・ソウルHeart And Soul」と「フォー・センチメンタル・リーズンズ(I Love You)For Sentimental Reasons」を出した。