1-3. ザ・グローリー・オブ・ラブTHE GLORY OF LOVE-ファイブ・キーズThe Five Keys(ビリー・ヒルBilly Hill)
51年3月22日録音、51年7月アラディンAladdinのシングルとして発売:R&B1位
オリオールズThe OriolesとレイブンズThe Ravensは40年代後期に『レース』チャートに登場したものの、R&Bボーカルグループの最初の大きな波が華々しい成功を収めたのは1951年だった。
クローバーズThe CloversはアトランティックAtlanticから最初のヒットを出し、ドミノスThe Dominoesは実際に「シックスティ・ミニッツ・マンSixty Minute Man」でポップ・チャートに (やっとのことで)載り、そして真に伝説的なドゥーワップ・グループの一つであるファイブ・キーズThe Five Keysは「ザ・グローリー・オブ・ラブThe Glory Of Love」で最初 (で最大) のヒットを記録した。
素晴らしいリーダーRudy Westの下に、初めは二組の兄弟で構成されたファイブ・キーズThe Five Keysは、ハーレムHarlemのアポロ・シアターApollo Theatreでの演奏が成功した後、Aladdin Recordsと契約した。
オリオールズThe Oriolesを手本として、以前のほとんどのグループよりもバックのシンガー達を前面に出し、フローティング・ファルセットをハーモニーに加えた。彼らは曲の詩の真ん中でリードを交代した。「ザ・グローリー・オブ・ラブThe Glory Of Love」は50年代前期に結成され始めた多くのグループに刺激を与えることになるとともに、複数のグループがファイブ・キーズThe Five Keysに近い音作りをした。
アラディンAladdinにおけるファイブ・キーズThe Five Keysのシングルならほとんどどの曲でも、今日、レコード・コレクターは大金を支払う。後に、キャピトル・レコードCapitol Recordsに入って1954年の一連のヒット曲(「リン・ティン・トンLing Ting Tong」、「ウィズダム・オブ・ア・フールWisdom Of A Fool)など)を出した時にこのグループが採用したポップ・スタイルとは対照的に、これらの演奏は純粋なリズム・アンド・ブルースだった。
「ザ・グローリー・オブ・ラブThe Glory Of Love」は良く売れたので比較的手に入りやすいが、アラディンAladdinから出た作品の大部分は売れなかったので、そのシングルはどんな状態のものでもとても希少だ。