スリムの店はすぐに繁盛し、その名声は大都市ニューヨークの外にも鳴り響いた。10代のパートタイマー従業員――ハロルド・ギンズバーグHarold Ginsberg、ジャレッド・ワインスタインJared Weinstein、ジェリー・グリーンJerry Greene――の専門家の助けを借りて、スリムは注意深く、どこにでもいるロックンロール・コレクターの最初の本当の波を作り出した。
私たちはドゥーワップ・マニアになり、彼が毎週放送するラジオ番組と毎月のベスト・セラー・リストにはまった。スリムは「子供」かハイ・テノールのリードによる、アップテンポで元気の良い曲をかけて宣伝するのが好きで、しかも、「スリム・サウンド」は皮のジャケットを着て彼の店に群がるティーネージャからの受けが良かった。
スリム・ローズとタイムズスクエア・レコードTimes Square Recordsが現れるまでは、ほとんどのR&Bレコードはせいぜい数か月間かかって、消え去った――かあるいは、誰もがそう思っていた。
しかし60年代初めに、信じられないほど豊富なR&Bグループ・ハーモニーの遺産があることに初めて気が付いた。アート・ラボ―Art Laboeのオールディーズ・バット・グッディーズOldies But Goodiesのアルバムを買い、もっとたくさん聞きたくなった。
レイブンズThe Ravens、オリオールズThe Orioles、カーディナルズThe Cardinals、
初期ファイブ・キーズthe Five Keysを初めて聞いたが、「ブルー・ムーンBlue Moon」や「恋は曲者Why Do Fools Fall In Love」に慣れていたので、
そのサウンドはティーネージャーの耳には多分あまりに洗練され、複雑過ぎた。鋭い耳を持つ少数の者達(ただし、筆者ではない)は、「アイ・カバー・ザ・ウォーターフロントI Cover The Waterfront」(オリオールズThe Orioles)や「マイ・サデスト・アワーMy Saddest Hour」(ファイブ・キーズThe Five Keys)などの微妙なハーモニーの曲を称賛し始めた。
私たちは大好きなグループのレコードをすべて集めた。――ほとんど古代とも思える、スパニエルズThe Spaniels、ハープトーンズHarp-Tones、チャネルズThe Channels、あるいはスワローズThe Swallowsまでも。
もっと取りつかれたものは、ディスコグラフィーを編集し始め、特定のお気に入りレーベルで全曲を完成(リリース)しようとした――ラマRama、ビー・ジェイVee Jay、ハルHull、オールド・タウンOld Town、ゴーンGoneなど。