間もなく1955年5月になる頃、昼食後、誰もがイーグル・ロック・スクールEagle Rock Schoolの机に戻っていた。
しかし、僕はキャンディ・ケインCandy Caneのブースに座って、コーラをすすりながらナツメグスThe Nutmegsの「ストーリー・アントールドStory Untold」を23回連続で聞いていた。
学校と「ストーリー・アントールド」の間で争うことは無く「ストーリー・アントールド」の方がより重要なことは明らかだった。カウンターの中にはキャンディ・ケインを営んでいるオスカーさんがいて、掃除をしながらぶつぶつつぶやいている。
つい数か月前には、「アース・エンジェル」を繰り返し、繰り返し、繰り返しかけていたので、ほっぽり出されたことがあった。
たぶん丸くなったか、あきらめたのだろう。「アース・エンジェル」はジューク・ボックスの#G-7、「ストーリー・アントールド」は#B-4で、礼拝中に理解できるゴスペルを聞いていた。「ストーリー・アントールド」が始まるたびに、新しい経験だった。もし長く聴いていると、たぶん、少し、どこかを違った風に歌ったのだろう。「ストーリー・アントールド」は、既にギアが入って走るトラックのように思えたが、それでもまだバラードであり、「アース・エンジェル」より『たくましく』、『強力』だった。「ストーリー・アントールド」の苦悩とつらさは、堂々としていて、でこぼこだけどカミソリの葉のように鋭い歌い方だった。私は一生この曲を深く愛すだろう。現在もまだ大好きだ。
別の月、この音楽の素晴らしい可能性を論理的に延長したことが起きたのだが、それは、トニー・ウィリアムスTony Williamsのサウンドが、とても魅力的な「オンリー・ユーOnly You」でプラターズThe Plattersの本当の普及の名声を確立した時だった。
短期間のうちにこのサウンドが明確になり、可能性の頂点へと洗練されていった。それはロックンロールであり、今まで作られたアメリカの魔法の中でもっとも純粋な形態だった。トニーは『ア・オ』と歌い、言葉を途切れさせたために、アメリカの多くのエリアのポップ・ラジオから冷笑され、拒否されたが、それは遅すぎたのであり、ポピュラー音楽の大きな壁は崩れ落ち、二度と再び実権を持って存在することは無かった。どういうわけか、強力だったり特異だったりするリード・シンガーの力は、ボーカル・グループを率いた時に大いに強まり、同じレコードでもソロ・アーティストとして宣伝すると神秘的雰囲気は弱まる。ボーカル・グループはまとまりであり一体として見せているように見えるし、このグループは何者なのか、どうやって来たのかということをどうしても理解したくなった。それは大人向けでもないし、子供向けでもなかったが、僕たちは何に疑問も抱かずに受け入れた。それは僕たちのものだ。それは、地球において最も強力な芸術の形、ロックンロールの始まりだった。それはドゥーワップではなく、ローディーズでもなく、全く新しいロックンロールだったからだ。こういった言葉は後になって作られた単語だ。僕はロックンロールが誕生するのを驚きながら目の当たりにしていたし、大好きだ。できるものなら戻りたいが、二度と戻ることは無い。