1955年夏――ビル・ヘイリーと彼のコメッツBill Haley And His Cometsの「ロック・アラウンド・ザ・クロック(We’re Gonna)Rock Around The Clock」は、映画ブラックボード・ジャングルBlackboard Jungleで使われ、『ティーネージャー』に対する大衆の考えと新しい『ロックンロール』ミュージックを明確にした。
1955年秋――ビルボード誌はポップ・チャートを100位までに拡大し、多くの小規模独立系レーベル――特に、ドゥーワップ・グループ――に、リリースした曲をポップ・ヒットとして宣伝することを認めた。
1956年――ロックンロールが頭をもたげ、世界は変わってしまった。フランク・シナトラFrank Sinatraとミッチ・ミラーMitch Millerは新しい音楽に困惑した。
1956年冬――フランキー・ライモンとティーネージャーズFrankie Lymon & The Teenagersの若者たちが自作したレコードの「恋は曲者Why Do Fools Fall In Love」で、ポップ業界を揺すぶり、このレコードはジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerの新レーベルであるジーGeeから出て、最高6位まで上がって数百のティーネージ・ボーカル・グループの先鞭をつけた。
同時に、プレスリーPresleyという名前の田舎者が、世間にちょっとした印象を与えた。
1956年夏――ファイブ・サテンズThe Five Satinsの地下で録音した「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイトIn The Still Of The Nite」はポップ・チャートでヒットした。
全国チャートの30位にかろうじて入ってヒットしたが、4年後に再登場し、史上最も人気のある『オールディーズ』の2曲、または3曲のうちの1曲である。1957年――この年にとても盛り上がったトレンドは、大手レコード会社がより小さなところからヒット曲のマスター・レコードを買収したことだった。ドット・レコードはフィー・ビーFee Beeからデル・バイキングスThe Dell Vikinngsを、
チェス・レコードChess recordsはカサ・グランドCasa Grandeからチューン・ウィーバーズThe Tune Weeversを、
ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerはジョンソンソン・レコードJohnson recordsからダブスThe Dubsを獲得したりした。ロックンロールが爆発して、小さな独立系新レーベルを誕生させた。