1954年秋――ペンギンズThe Penguinsの「アース・エンジェルEarth Angel(Will You Be Mine)」は、若くて無邪気な歌詞のラブソングを粗雑にレコーディングした曲だったが、ウェストコーストから始まって、巨大ヒットになった。
同時に、シャーリー・ガンター・アンド・クイーンズShirley Gunter & “The Queens”が「ウープ・シュープOop Shoop」で全員女性グループとして初のR&Bヒットを出し、ミッドナイターズThe MidnightersやドミノーズThe Dominoesを特集した最初のボーカル・グループ・アルバム――当時は一般的だった10インチ盤の――が登場した。
オリオールズThe Oriolesをフィーチャーした最初のR&Bボーカル・グループEP(4曲入ったシングル盤)がリリースされた。
1955年――パット・ブーンPat Booneからフォンテン・シスターズThe Fontane Sistersまで白人のポップ・アーティストが、先を争って黒人ドゥーワップやR&Bヒット曲を似たような感じでレコードにした。
彼らの曲は1年くらいはうまく行ったが、アラン・フリードAlan FreedなどのDJが努力したおかげで、黒人グループが自分たちでヒットさせ、白人の『カバー』バージョンを打ち負かすようになった。
同時に、R&Bボーカル・グループが急増し、黒人マーケットのより大きなシェアを取るようにさえなった。もはやオリオールズやドミノーズがチャートを支配することは無く、ドリフターズThe Drifters、ターバンズThe Turbans、ロビンズThe Robins、ジャックスThe Jacks、カーディナルスThe Cardinals、ナツメグスThe Nutmegsなどに取って代わられた。
1955年冬――アランフリードは自分のラジオ番組をザ・ムーンドッグ・ショー
と数年間呼んだあと、ある同名のストリート詩人が訴訟を起こし勝利したので、名前を変えざるを得なかった。
この番組にフリードが付けた名前はザ・ロックンロール・パーティーThe Rock ‘N’ Roll Partyで、この言葉は専門用語として流行した。1年後に『ロックンロール』として通用した多くのレコードは、まだ『リズム&ブルース』と呼ばれていた。