1952年――ドミノーズThe Dominoes、クローバーズThe Clovers、
オリオールズThe OriolesはR&Bチャートのトップに居続け、同時にフォー・ブレージーズThe Four Blazes、
スワローズThe Swallows、カーディナルスThe Cardinalsなどのグループが単発のヒットを出した。
1952年春――伝説のボーカリストのクライド・マクファターClyde McPhatterは「ハブ・マーシー・ベイビーHave Mercy Baby』というワイルドでゴスペル色を帯び、アップテンポな元気の良い曲で、ドミノーズの一歩前に出てリードを取った。
この曲はR&Bチャートのトップになって、マクファターがR&Bスターになるのに役立った。同時に、新しいグループのロイヤルズThe Royals(1954年にリード・ボーカリストのハンク・バラードHank Ballardが参加した時に、ミッドナイターズThe Midnightersに名前を変えた)が「エブリ・ビート・オブ・マイ・ハートEvery Beat Of My Heart」の最初のバージョンのレコードを出し、そして1961年にグラディス・ナイト&ピップスGladys Knight & The Pipsにとってファースト・ヒットとなった。
1952年秋――R&Bチャート(ポップはもちろん)に最初に載った黒人デュエットのシャーリー&リー Shirley & Leeの「アイム・ゴーンI’m Gone」が最初のヒットとして2位になった。
同時にニューヨークのジュビリー・レコードJubilee recordsは、ファイブ・シャープスThe 5 Sharpsという新しいグループのかなりひどいシングルを発売した。
そのレコードは古臭い「ストーミー・ウェザーStormy Weather」で全く売れなかったが、40年後に今までリリースされた中で最も高価なR&Bシングルと知られ、オリジナル・レコード1枚の想定再販売価格は、5,000ドルから10,000ドルの間のどこかになるとされた。1953年――ボーカル・グループのレコードがR&Bマーケットのかなりのシェアを占め始め、まだ活躍していたオリオールズThe Orioles、クローバーズThe Clovers、
ドミノーズThe Dominoesの曲と並んで、クリケッツThe Crickets、
デュ・ドロッパーズDu Droppers、ファイブ・ロイヤルズThe ”5” Royals、
ボカリアーズThe Vocaleers、コロネッツThe Coronets、
ロイヤルズThe Royals、スパニエルスThe Spaniels、フォー・チューンズThe Four Tunesなどの新グループのレコードがすべてR&Bチャートでヒットした。