ドゥーワップは基本的に、ポップ、ゴスペル、ブルース、ジャズ、スウィングの要素が1940年代後半から1950年代前半に融合して発達したものだ。それ以前は、ほとんどのグループが白人のポップ・アンサンブルか、『白人スタイル』で歌うインク・スポッツThe Ink Spotsやミルス・ブラザースThe Mills Brothersなどの黒人グループだった。
40年代後半にレイブンズThe RavensやオリオールズThe Oriolesなどのグループが、白人のためでなく黒人のために黒人ボーカル・グループ音楽を歌い始め、50年代前半までにドミノーズThe DominoesやクローバーズThe Cloversなどのグループが黒人社会でかなりたくさんのレコードを売っていた。
より多くのグループが小さな独立系のレーベルでレコーディングし始めると――CBSやRCAなどの大手は、当時ほとんどがアマチュアのシンガー達には手を付けようとしなかった――、様々なスタイルが出現した。1954年にはたくさんの曲、特に「ジーGee」、「シュ・ブームSh-Boom」、「アース・エンジェルEearth Angel」は、もし技術的に洗練されていなくても、新鮮で若々しく活力にあふれた歌い方を示した。
1955-56年までに、ポップ・ミュージック業界はロックンロールと呼ばれるものによって急激に侵入されることになる。
50年代半ばから後半にかけて、ドゥーワップはロックンロールの波の絶頂にあったが、フェビアンFabianやフランキー・アバロンFrankie Avalonがヒット・パレードのトップを取るにつれ、ドゥーワップ・グループはシーンから消えるか、来るべきソウル・サウンドに変わりつつあった。
しかし1959年に最初のオールディーズ・アルバムがリリースされることによって拍車がかかって、ちょっとしたリバイバルが始まり、50年代初期のグループとレコードに対する郷愁ブームが始まった。
同時に、初期の黒人サウンドを再生させようとして白人のティーネージ・グループが結成し始めた結果、60年代初期にドゥーワップの第2の波がやって来た。ビートルズなどイギリスのアーティストがロックの歴史を台無しにして、しばらくの間ドゥーワップは一握りのレコード・コレクターのためだけに存在しているように思えた。
70年代初期にサイケデリア、最初のヘビー・メタル、エレキ・ロックが最前線に躍り出ると2回目のドゥーワップ・リバイバルが発生したが、これは60年代のレコード・コレクターと同じ人たちが巻き起こした。昔のグループが再結成し、少人数だが進化のわかる観客に対して演奏を始め、レコード会社は長い間忘れ、それ以来誰も振り返ることのなかったドゥーワップのオリジナルを再発売した。
これまでにドゥーワップを歌うグループはある現象を経験していて、それはドゥーワップ神話の一つとなっている。例えば以下の様の言えばボーカル・グループに信ぴょう性を付加できるのだが、それは(a)グループが街角で練習するのだが、なるべくなら、ハーレム、ブロンクス、ブルックリンで、それも地下鉄や学校のトイレがエコーが特に良い、(b)名前は鳥、自動車、宝石の名前を付ける、(c)よく計画された音楽キャリアへの第一歩としてではなく近所の女の子に好印象を与えるために最初のレコードを作る、(d)100万枚の大ヒットを一度だけ売ってもけっして印税を受け取らない、ということだ。どれほどのグループが自分たちの歴史を話す時に正直に話してくれるかは心もとない。