大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート1 第5夜
2012年3月30日放送
(放送内容)
大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝、いよいよ本日が最終回でございます。
第4回目の昨晩は、エルビスが初めてテレビショーに出演したと、そこまで放送しました。さて、それ以降はどのようにしてエルビスはスターダムに昇り詰めていったのか、言うのが本日の内容でございます。
で、この後にニューヨークに行きまして、ニューヨークのRCAスタジオで録音するんです。で、RCAレコードでもなんとか、あのー、サン・レコードのような音を出そうと苦労した後があるんですね。で、また、カバーなんですけど、ニュー・オーリンズのロイド・プライスのローディー・ミス・クローディーが選ばれています。
Lawdy Miss Clawdy / Lloyd Price
さて、これをニューヨークのRCAのエンジニアはどのように録音したんでしょうか。エルビスのバージョンを聞いてみましょう。
Lawdy Miss Clawdy / Elvis Presley
えー50年代、56年ですから、そろそろ鉄板エコーが出て来る頃かと思うんですけど、広い、まあ、ルーム・エコーなのか、途中でなんか物凄いエコーを捜査している感じの、あれがありましたけども、これも要するにサン・レコードのような音を出そうとしたみたいなんですね。ところがRCAのエンジニア、さすがに優秀ですよね。で、ニューヨークはいろんな種類の音楽を録音しますから、エンジニアの腕は良いんです。で、おそらくこういうエコーかけても仕方がないので止めようという、通常の録音にしたんです。で、これがね、功を奏したんです。エルビスの56年のRCAの録音ていうのは、どれもいいんですね。えー、で、最初に歌った歌はカールパーキンスの歌です。で、まだ、カール・パーキンスがカントリー・チャートに登場する前に、エルビスは録音しておりました。
Blue Suede Shoes / Elvis Presley
えー、ブルー・スエー、これはすごいですね。まあ、以前、サン・レコードにいた同僚の後輩になるんですか。カール・パーキンスの曲をカバーしたわけですけどね。で、やっぱりよかったんです。エコーをあんまり深くしなかったのが、これが大正解になります。エルビスの声が前面に出ていて、ものすごく良かったすね。エルビスの改良点ていうのはイントロにありました。
Elvis Presley – Blue Suede Shoes
こう、イントロを続けるんですね。えーと、カール・パーキンスのはこうでした。
BIue Suede Shoes / Carl Perkins
えー、エルビスはいちいちブレークするのが、なんか、かったるいと思ったのか、一気に行ったんですよね。で、カールパーキンスも後に、63、4年ですかね、イギリスに行ったときに、イギリスのバンドをバックにして録音したブルー・スエード・シューズがあるんですよ。
Carl Perkins – Blue Suede Shoes (from Man in Black: Live in Denmark)<放送された音源でない>
えー、ということでエルビス・スタイルに本人も後になったという、エルビスがカバーすると、オリジネーターを超えるという、これがエルビスカバーの神髄というのですかね。で、エルビスはRCAに行っても自分の原点を忘れないんですね。で、原点はザッツ・オール・ライト・ママ、サン・レコードで出していたザッツ・オール・ライト・ママが自分の原点だと、ということでオリジナルのアーサー・クルーダップ、アーサー・クルーダップの曲をRCAに行っても取り上げるんですね。曲はマイ・ベイビー・レフト・ミー。まずはオリジナルから。
My Baby Left Me / Ahhur Crudup
えー、ということで、エルビスはこれをこのようにカバーしました。
My Baby Left Me / Elvis Presley
えー、マイ・ベイビー・レフト・ミーですね。歌のうまさは変わってないんですけど、サン・レコードの時にはなかったドラムが付いてますし、サン・レコードのあったフィード・バック・エコーが無いので、エルビスの歌がダイレクトにこっちに伝わってくるという感じの曲になってましたね、マイ・ベイビー・レフト・ミー。
さて、エルビスは更にさすがに原点に忠実にアーサー・クルーダップの曲をもう1曲カバーするのであります。
ソー・グラッド・ユアー・マイン。まずはこのオリジナル。アーサー・クルーダップ。
So Glad You’re Mine / Ahhur Crudup
えー、このソー・グラッド・ユアー・マインは、完全にオリジナルを超えています。ではエルビスのバージョン。
So Glad You’re Mine / Elvis Presley
ソー・グラッド・ユアー・マイン、エルビスでした。このようにオリジナルとカバーを続けて聞いていただいてますけども、えー、エルビスがオリジナルをいかに自分の中で、こうロックンロールに消化して行ったかという、その過程が聴いていただけたという風に思います。エルビスはライブ演奏で、やっぱり、あの、女性のキャーという声があれだったんでしょうけど、段々シャウターになって行きましたね。そこでいよいよ本格的なシャウターの曲をカバーすることになりました。
Tutti Flutti / Liltle RiChard
Tutti Frutti / Elvis Presley
なるほどー、ファルセットが出てきてましたねー。リトル・リチャードの得意なねー。後に、これをポール・マッカートニーがコピーすることになるんですけど、さて、ところで、ハートブレイク・ホテル、リリースしましたが、なかなかヒットしないんですね。さすがにこの時はスタッフも、やっぱりこれ、選曲間違えたという風に思ったんじゃないでしょうか。そういう声も中には有ったそうです。
それで、テレビのドーシーショー、あれにも何度も、毎週出るんですね。2月4日、2月11日、2月18日と、連続して出たんです。
それで、ようやく3月3日にポップ・チャートに初登場しました。で、ポップ・チャートに初登場してからのドーシー・ショー、聞いてみましょう。3月17日です。曲はブルー・スエード・シューズ。
BIue Suede Shoes (live) / Elvis Presley
いやー、やりましたねー、ついに。えー、ここまで来るのはずいぶん長かったですね。でもまー、これでまー人気は不動のものとなりましたね。えー、そこで、早速2枚目のシングルに取り掛かるんですね。で、エルビスはやはり、アイ・ワズ・ザ・ワン、あのスタイルが大好きなんです。ああいうタイプの曲が欲しいとスタッフにリクエストしていたんじゃないかと思います。それで、また、ナッシュビルに飛ぶんですね。で、なんで、ナッシュビルにばかり行くのかと思ったら、おそらく、ジョーダネアーズ、コーラスの、彼らが忙しいんですね。
ですから、彼らがいるナッシュビル・スタジオに行ってとるんですね。それが2枚目のシングルとなりまして、その2枚目のシングルは、アイ・ウォンチュー・アイニジュー・アイ・ラビュー。
I Want You, I Need You, I LoveYou/ Elvis Presley
2枚目のシングル、アイ・ウォンチュー・アイニジュー・アイ・ラビュー、でした。さて、これは、カントリー・チャート1位、ポップ・チャート1位、R&B3位です。
えー、ハートブレイク・ホテルと全く同じランキングになったんですね。2曲続けて3ジャンルにチャートされたことになるのです。えー、これはもちろん史上初のことでございました。さて、この曲を録音してからエルビスはラス・ベガスへ向かいます。
1956年当時のラスベガス
ニュー・フロンティア・ホテルというところのショーに出演することになってました。つまり、あのー、60年代後半ですから、ラス・ベガスでショーやりますから、既に56年にラスベガスでショーやっていたんですね。で、同じステージにフレディー・ベルとベル・ボーイズというグループが一緒だったんです。
で、彼らのステージを見て、ものすごくエルビスは感動したというか、これは良い、という風に思ったんだそうです。で、彼らの持ち歌はハウンド・ドッグ。
Hound Dog / Freddie Bell & The Bellboys
<放送された楽曲ではないが、動きが参考になる>
フレディー・ベルとベル・ボーイズのハウンドッグでした。この人たちのライブショーをフィルムで見たことがあるんですけど、えー凄いですよ、その、動きが。アクションがすごいんですね。えー、で、楽しいし、エルビスはこれを見て感激して、ハウンド・ドッグ、僕にくれ、と言ったそうですね。で、この頃エルビスは、みんな、ギターを持ってますから、動くには、ギターはちょっと邪魔なんですよね。で、後にギターを持たなくなります。で、ギターを持たないアクションに、ちょっとこのグループは、エルビスに、ちょっと影響を与えてるんじゃないかと思えるくらいに、フィルムを見てそう感じました。5月6日にラス・ベガスのショーを見て、10日後、アーカンザスのリトル・ロックというところでライブ・演奏をやっています。既にここで、レコーディングする前に、ハウンド・ドッグを披露しているんですね。その感触を知りたかったんでしょう。エルビスは結局、このハウンド・ドッグはリトル・リチャード解釈だったんですね。
Hound Dog (live) / Elvis Presley
えー、ハウンド・ドッグのライブは後半はスロー・テンポになって、ああいう風にやって、テレビでもあの演奏を、ていうか、あの後半スローになるのはテレビでもやってたようですね。で、エルビスはこれをリトル・リチャード解釈したという風に僕は思いますね。で、このコンサートで、リトル・リチャードの同じくロング・トール・サリーも歌っています。
Long Tall Sally(live) /Elvis Presley
えー、エルビスのロング・トール・サリーでした。僕はエルビスは1962年に、あの、全部聞いたんですね。えーと、そこから6年後ですかね、リリースされてから。で、この、のっぽのサリーは、ビートルズがね、ポール・マッカートニーが歌って、エルビスもレコード盤があるんですけども、レコードのバージョンは今一つ迫力が無いんですよ。で、んー、ポールに負けてるな、という風に当時中学、えーと、高校にかけてそういう風に思っていたんですけど、今のライブ・バージョンを聞くと、あの、負けてませんよね。で、結局、レコーディングの時のバージョンのあれは失敗したんでしょうね。と思います。
さて、次はジョーダネアーズとのライブです。アイ・ワザ・ワン、これ珍しいから、これ聞いてみましょう。
I Was The One(live) /EiviS Presiey
アイ・ワズ・ザ・ワン、ジョーダネアーズとのライブでございました。さてこのハウンド・ドッグは3枚目のシングルとしてスタジオ録音となりましたが、スタジオはニューヨークのRCAスタジオでした。えーこれがニューヨークのRCAスタジオで録音されたのは、ほんとにエルビスにとっては幸運でした。
Hound Dog/ Elvis Presley
えー、フレディー・ベルズでも、オリジナルのビッグ・ママ・ソーントンでもない、エルビスが作り上げたハウンド・ドッグでした。で、作者はジェリー・リーバとマイク・ストラー、リーバ・ストラ―だったんですけど、彼らは当時アトランティックと仕事をしていたんですね。
ですから、この頃、アーメット・アーティガン、エルビスを断ったアーメット・アーティガンはどういう風に思ってたんでしょう。
エルビスはとにかく、ドリフターズ、レイ・チャールズ、ラバーン・ベイカー、クローバーズと、とにかくアトランティックが好きだったんですよ。
ね、RCAじゃなく、アトランティックへ行っていたら、どうなっていたことでしょうか。さて、このハウンド・ドッグはカントリーで1位、ポップで1位、そしてR&Bでも1位と、これは、史上最初に3部門1位です。
前には全くこの記録を持っていた人は誰もおりません。それで、後にも、んー、イチロウの記録を破るのはイチロウだということで、この記録を破るというようりは、また、もう一度3部門1位という曲をエルビスは出すわけでございます。
Don’t Be Cruel / Elvis Presley
この、ドン・ビー・クルーエル、冷たくしないで、これもカントリーで1位、ポップで1位、R&Bでも1位です。これはカップリングなんですけど、なぜ、2曲が別々に評価されているかと言いますと、えー、レコードではAB面なわけですけども、この当時のヒット・チャートというのは、レコードの売上だけではないんですね。むしろ、ラジオのエア・プレイの回数とか、ジュークボックスでかけた回数とか、そちらの方がレコードよりも、算定の頻度という重要視がされていたということがあって、だから楽曲単位でヒットという風になるんです。でも、この方が流行を知るという意味では正しいような気がしますけどもね。で、えー、その、ドン・ビー・クルーエルで、作者はオーティス・ブラックウェル、この後、オール・シュック・アップ、それから、リターン・トゥ・センダーとか、たくさんエルビスの曲を書くことになる人です。
リーバー・ストラー、オーティス・ブラクウェルと、後のエルビスに必要となるスタッフが段々ここから、集まり始めたということでございます。えー、それから両方ともジョーダネアーズが入っていましたけども、ジョーダネアーズ、この時はちょっと時間があったんでしょうね。ニューヨークに呼んで良かったですね。この音のクリアさが、このハウンド・ドッグと、ドンビー・クルーエルの、この録音の成功も楽曲の成功に大きくかかわっているという風に思います。さて、ここでもう1曲、アイ・ワザ・ワン、アイ・ウォンチュー・ニーヂュ―・アイ・ラビューに続く第3弾を作るんです。これが、エ二ウェイ・ユー・ウォントゥ・ミー、どっちみち俺のもの、というやつですけども、これが良いですよ。ニューヨークのRCAスタジオで録音されましたから、実に歌もいいし、コーラスもいいです。エ二ウェイ・ユー・ウォントゥ・ミー。
Any Way You Want Me/Elvis Presley
いいねえ、これは。エ二ウェイ・ユー・ウォントゥ・ミー。えー、本当に、ぞくぞくしますね。アイ・ワザ・ワン、アイ・ウォンチュー・ニーヂュ―・アイ・ラビュー、エ二ウェイ・ユー・ウォントゥ・ミー、えー、これが、ロッカバラードというジャンルを作ったと思いますねー。でー、この曲のチャートで面白いのは、カントリーはランク外なんですね。100位にも入っていない。で、ポップで20位なんですけど、R&Bが12位なんです。ね、その辺に面白いところがありますね。さて続いて、8月から9月にかけていよいよ映画ということになるんです。で、映画はご存知ラブ・ミー・テンダーですね。最初の映画が。えー、南北戦争の映画でしたけれども、で、ここでスタジオは映画ということで、ハリウッドに行きます。LAに行きます。
1956年当時のハリウッド
ですから、ナッシュビル、ニューヨーク、LAと、この3か所で録音されたのが、この特徴です。4枚目のシングルという風になるんですけど、よーく、考えてみると、これは、取っておいたんですよ。切り札ですよ。エルビスの。今のエ二ウェイ・ユー・ウォントゥ・ミー、コーラス・グループのリード・ボーカルですよね。ハウンド・ドッグではシャウター、それで、ブルー・スエード・シューズではロックンローラー、そしてエルビスの一番の持ち味は、クルーナーのわけですよね。で、最初にレコーディングされたのは、マイ・ハッピネスでした。ですから、エルビスの一番の持ち味は、このクルーナーです。で、それを、この映画の所まで、撮っておいたんですね。憎いですね、この演出。このラブ・ミー・テンダーは一人で歌ってる印象がありますけども、サビのところからジョーダネアーズが絡んでくるんですよ。このバック・コーラスが沁みますよ。ラブ・ミー・テンダー。
Love Me Tender / Elvis Presley
えー、ラブ・ミー・テンダー、お送りしましたがねー、コーラスの方に耳をやると、全く違って聞こえたのではないでしょうか。英語の公開はアメリカでは56年の11月15日でした。続いて、世界で封切られたのは57年、翌年ですね、2月1日、これが西ドイツ。で、2月の7日、イタリア。2月の16日、日本。えー、これは進駐軍のいる国に、えー順番に封切られたんですね。で、まー、ドイツ、イタリア、日本と、そういう順番ていうのが、アメリカのプライオリティーかと思いますが、なるほど、南北戦争の映画をテーマに選んだというのは、ほんとに誰なんでしょうねえ。ということで、今回のアメリカン・ポップス伝はここまででございます。
エルビスのカバーは聞いていただきました通り、とにかく幅広いんですね。で、第1夜目はポップ・チャート、カントリー・チャート、それから、R&Bチャートとジャンル別に聞いていただきましたけども、エルビスは、とにかくジャンルという分け隔てがないわけです。
で、自分が歌えるものは何でも自分の歌と、いうことだったんですね。ですから、おそらく、カントリー・チャートやポップ・チャートやR&B・チャートでもチャートされるという、そういう深い味わいがエルビスの歌の中にあった、サウンドの中にあったということではないかということです。あるいは、その3ジャンルがエルビスの中に入って一つになったという風に言えるかもしれないですね。それから、カントリー出身であったということとで、ギター中心のサウンドだということ、で、ポップス好きで、バラードが好きで、クルーナー好きだと、でー、R&B好きでシャウターでリズム好きと、これがロックンロールというものになって行ったということですね。そしてエルビスのフォロワーがジャンジャン、ジャンジャン出てきたというのが、この後、こういう風になるのでございます。
えー5回にわたってお送りしました大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝、パート1 エルビス編、段々タイトルが長くなってしまいましたけども、またいつの日か、パート2がありましたら、お聞きいただけたらと思います。それではその日まで、大瀧詠一でございました。