1955年当時ロックンロールによる暴動は、全米で起きました。
- ボストンでは、ロックンロールのレコード・コンサートに集まったティーネイジャーが、「躍らせろ」と叫んで機械やレコードを壊したり、椅子を投げたので、それ以来ロックンロールのパーティーは一切禁止されました。
- プレスリーの出演するショーには、いつも数百名の警官が動員されました。
- ファッツ・ドミノがカリフォルニア州サン・ホセのパロマ―・ダンス・ホールに出演した時も警官が出動し、新聞はロックンロール暴動と報じました。
- ミネソタ州セント・ポール市の方法曲はロックンロールの放送を禁止しました。
- ニュー・ジャージー州ジャージー市ではビル・ヘイリーのコンサートを禁止しました。
音楽関係者も辛らつな発言をしています。
ジャズ評論家のジュリー・サザーンはプレスリーの「ハート・ブレイク・ホテル」を聞いて、「いったい何の歌か一向に分からない。河岸だってロンリーとか、ブロークン・ハート、その他二言三言が分かるだけで、ひどいものだ」といいました。
エルヴィス・プレスリー ハートブレイク・ホテル
メル・トーメは「ブルー・スェード・シューズ」を聞いて、「僕も22歳ごろ、このプレスリーの様にロックンロールに熱を上げかけたが、こんな屑のようなものから抜けるべきことを習った」といいました。
Elvis Presley – Blue suede shoes HD
ディック・ヘイムスは「ブルー・ムーン」を聞いて、「ノーコメントだ、こんな美しい名曲を蹂躙することは恥ずかしいではないか」と憤りを含んで言い放った。
Elvis Presley – Blue Moon