1月26日のセッションでは、4曲できた。「ブルー・デイズ・ブラック・ナイツBlue Days, Black Nights」、

![Buddy Holly – Blue Days-Black Nights – Vinyl (7", 45 RPM + 3 more), [r9550904] | Discogs](https://i.discogs.com/sF_l6fEjMsccyJyz7poyhGDbwenAlJasiiPJ-WBm5Ng/rs:fit/g:sm/q:90/h:598/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTk1NTA5/MDQtMTQ4MzEyMzM0/Ny05MTM5LmpwZWc.jpeg)
「ドント・カム・バック・ノッキンDon’t Come Back Knockin’」、
「ラブ・ミーLove Me」、

![Buddy Holly – Love Me – Vinyl (Pinckneyville, 7", 45 RPM), 1958 [r15402187] | Discogs](https://i.discogs.com/9g-kck-bJT0qmxPHhgGotNVO1wv0izInWu33lJ8ZvfE/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTE1NDAy/MTg3LTE1OTA5NDM2/MzktODY5Ni5qcGVn.jpeg)
そして唯一、オリジナルでない曲、「ミッドナイト・シフトMidnight Shift」だった。
![Buddy Holly – Midnight Shift – Vinyl (7", Single), 1959 [r12830640] | Discogs](https://i.discogs.com/-qI0LbH65zBjsVW8Fn66kygaqswvxvHSOkES1Ugbyj0/rs:fit/g:sm/q:90/h:599/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTEyODMw/NjQwLTE1NDI3ODAy/NzUtMjQ5Ni5qcGVn.jpeg)
(バディがかわいい、純真な子供とみていた人達にとっては、最後の曲は「アニーAnnie」シリーズに少し関係していて、「アニーちゃんに会ったら、元気づけてあげたら良い。だって、アニーは深夜シフトで働いていたんだから」という歌詞で始まり、バディの危険な内面を少し見ることになる。)

デッカでの仕事を終え、彼らは車に乗り込みラボックへと帰った。4月になって一枚のシングルが発売された。それは、「ブルー・デイズ、ブラック・ナイツ」で、B面は、「ラブ・ミー」だった。どちらもバディが望んでいたものをうまく表現していなかったし、さらなる問題としては、ラベル上の彼の名前を“Holly”と誤記したのだ。デッカ・レーベルにはビル・ヘイリーBill Haleyがいたにもかかわらず、デッカはバディをどう扱ったらよいか分からなかった。

ヘイリーが契約したのはニューヨーク・オフィスで、ナッシュビルよりもポップ・ミュージックの扱いに慣れていた。振り返ってみて、オーエン・ブラッドリーOwen Bradleyはホリーの伝記作家ジョン・ゴールドローゼンJohn Goldrosenに、「良い組み合わせではなかった。相性が良くなかった。意図したものではなかった。私たちには分からなかったし、バディは私たちにどう話したらよいか分からなかった。」と認めている。


そして、レコード売り上げ、ラジオ放送はそれを反映した。それも仕方ない。まだ契約があり、その年の後半、ナッシュビルでセッションが行われる予定だった。