このグループは才能も有ったが、ティーンエイジャーズと改名したのはゴールドナー(あるいはバレットかは確かでないが)にとって賢明な判断だった。

一つには、このメンバー達は、多くの新人演奏者とは異なり、ティーンエイジャーだった。もう一つには、この音楽を買うのもティーンエイジャーだから、フランキーとその友人が、この名前を強く推した。同様だったのが、「エディ・マイ・ラブEddie My Love」で同じ年の初めに成功した、RPMレコードの一発屋、ティーン・クイーンズThe Teen Queens、そしてニューヨークでは、男女ハーモニーをフルに使った「ア・カジュアル・ルックA Casual Look」のシックス・ティーンズThe Six Teensだ。
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![The Teen Queens – Eddie My Love – Vinyl (7"), 1956 [r4753773] | Discogs](https://i.discogs.com/7cFhIy6AkxTDfUck3fwPc6TL-AQkem3wyVG2AtpWgF0/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTQ3NTM3/NzMtMTM3NDQzMDg1/NC04NTQzLmpwZWc.jpeg)

![The Six Teens – A Casual Look / Teen Age Promise – Vinyl (Monarch Pressing, 7", 45 RPM, Single), 1956 [r2435294] | Discogs](https://i.discogs.com/kPZs5E5SLYXkdfJP8EuW_tMkix8yhdJj3EiAuN6EpTA/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTI0MzUy/OTQtMTI4Mzk5ODM3/NC5qcGVn.jpeg)
2月4日にジョージアからシンシナティに車を運転していた連中はもっと典型的だった。全員が20代前半のフレイムスThe Flamesは、ジョージア州トコアにある少年仮収容所にいた連中で、リード・シンガーは自動車を盗み、それを乗り回した罪でその収容所に服役していた。
また、ボビー・バードBobby Byrdはトコアの少年で、母親の宗教心が厚かったのでそれを受け継ぎ、ゴスペル・シンガーでピアノを演奏していて、教会の現場出張奉仕活動の時に仮収容所で演奏した。

ボビーは、他の収容者からミュージック・ボックスと呼ばれ、仮収容所でゴスペルを歌っていた子に繰り返し出くわし、ついには日の目を見られるようにと、ボビーの母親が自らミュージック・ボックスのスポンサーになることに承諾した。これはお手本のような事例だったのだが、その子に必要なのは自分を愛してくれて注意を払ってくれる人であり、ボビー・バードと、本名ジェームス・ブラウンJames Brownのミュージック・ボックスはすぐにグループを結成して地元でライブ演奏を始めた。

彼らは、誰も見たことが全くなかったようなグループで、ゴスペルのショーマンシップと、楽しく演奏する若者の活力に満ちていた。そして、3年間南部中で経験を踏んだ後、キング・レコードKing Recordsのタレント・スカウトであるラルフ・バスRalph Bassの目に留まった。

バスは特に地方のラジオ局でそのグループが録音したテープを気に入り、それをプロにダビングさせることにした。そして、2月4日にバスが出勤してくると、ジョージア・ナンバーの車があり、中には数人が寝ていて、上にはベースが括り付けられていたのを見つけ、フレイムスThe Flamesがやって来たと思った。

数時間後、彼らはキング・レコードKing recordsがセッションでよく使っていたミュージシャンたちと一緒にスタディオに入り、仕事にとりかかった。シド・ネイザンSyd Nathanが調整室に入り、状況を把握すると、「ひでえもんだ」と言った。
つっけんどんで有名なシドだけではなく、ミュージシャンも嫌だった。それでも最終的に、全員が気に入らなかった一曲を含め、4曲のセッションを終え、バスはタレントをもっと探すために出張に戻った。