ある日、キング・レコードのセールスマンが、事務所に電話するようにとバスに伝えた。

「お前は首だ」というのがシドの第一声だった。「シドはただ一言だけ唸った。お前は首だ。」
ああ、バスは何が起こっているか理解した。ビッグ・ジョー・ウィリアムズBig Joe Williamsの名曲「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴーBaby Please Don’t Go」をゴスペル調に変えた、フレイムスThe Flamesのレコード、「プリーズ・プリーズ・プリーズPlease, Please, Please」のことだった。

![Please Please Please [Analog]](https://m.media-amazon.com/images/I/71lM6khY18L._UF1000,1000_QL80_.jpg)

バスはシドに、南部で試験的に販売して、少なくともチャンスを下さいと嘆願した。「くそったれ。あのレコードが、くそ野郎だということをはっきりさせるために全国で発売する」とシドは言った。そして3月3日、発売した。ヒットするまでにはしばらくかかったが、最初に南部ガラティンのジョンR John R.とホス・アレンHoss Allenが気に入り、4月終わりにはR&Bでヒットしたことが確認された。

唯一の問題点は、フレイムスがレコードを手に入れた時に、これが「ジェームス・ブラウン&フェイマス・フレイムスJames Brown and The Famous Flames」の曲となっていたことだ。どうしてそうなったのか?皮肉なことに、キングにはゴスペルをたくさん歌う別のグループがいて同時に契約していたのだが、そっちならスタディオ・ミュージシャンが確認していたろう。それはファイブ・ロイヤルズThe ”5” Royalesで、アポロ・レコードApollo recordsから1954年にキングに移籍し、良い曲をたくさん出していたが売れていなかった。
![The "5" Royales With Charlie (Little Jazz) Ferguson And His Orch. – I Want To Thank You / All Righty! – Vinyl (7", 45 RPM, Single), 1953 [r7123966] | Discogs](https://i.discogs.com/p-dzrEWUoc1Jf0Dh-Ld73tUTPsxlcTvFnlU3Ubaoj3k/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTcxMjM5/NjYtMTQzNDI5MTMw/NS04NTYxLmpwZWc.jpeg)

ロイヤルズThe Royalesはツアーをし、順調だった。フレイムスはこの時期に彼らに会い感動していたが、ラジオやチャートには登場していなかった。そして、最もゴスペル色の強いボーカリスト、レイ・チャールズRay Charlesは成功していたが、ティーンエイジャーからの人気はなかった。
彼のR&B第1位の大ヒット曲、「ドロウン・イン・マイ・オウン・ティアーズDrown in My Own Tears」はドラマチックな演奏だが、すごくゆっくりしたテンポで、たぶんほとんどが大人に売れたのだろう(当時、このようなことをわざわざ測定する人はいなかっただろうが)。
![Ray Charles And His Band – Drown In My Own Tears / Mary Ann – Vinyl (7", 45 RPM, Single), 1956 [r5207460] | Discogs](https://i.discogs.com/xpMlF2Hs0LlhOUB8ouTuoCCEHRCo8TNjvovqvls3vCs/rs:fit/g:sm/q:90/h:591/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTUyMDc0/NjAtMTM4NzQ3NTg3/Ni04MjU0LmpwZWc.jpeg)