こんな風に歌うことを自分でやりたいと思う子はどんどん増えたが、他の子にはない長所を持つ子もいた。もしボーカル・グループになりたくて、そのメンバーに才能が有り、誰かが聞いてくれれば、それはかなり簡単だ。しかし、白人の若者にとっての望みはエルビスになることだ。

それははるかに難しい。西テキサス出身のロイ・オービソンRoy Orbisonは油井労働者の息子で、故郷の名前にちなんだウインク・ウェスターナーズThe Wink Westernersというバンドに何年もいた。


エルビスに会ったとたんに、ティーン・キングスThe Teen Kingsになった。

1955年、ロイはフォートワースの北、デントンのノーステキサス州立大学に通っていて、そのクラスメートの一人がパット・ブーンPat Booneでレコード制作を始めていたが、カントリー音楽の大御所の娘と結婚していた。


パットの妻はランディ・ウッズRandy Woodsの娘で、パットがレコーティングしたのはランディのいたドット・レコードDot Recordsだった。大学の無料コンサートで二人の学生、ウェード・ムーアWade Mooreとディック・ペナーDick Pennerが、「ザ・ウービー・ドゥービーThe Ooby Dooby」を演奏するのを聞き、それをティーン・キングスに教えた。

1956年3月初旬、最も近いレコーディング・スタディオ、ニューメキシコ州クロービスにあるノーマン・ぺティ・スタディオNorman Petty studioに行き録音した。

ティーン・キングスは毎週30分のテレビ番組を持ち、その後がウェルドン・ロジャースWeldon Rogersの率いるカントリー番組で、誰かがロジャースに、クロービスで作ったティーン・キングスのテープを発売することを提案した。


ロジャースは、ジュウェルJewel(ジャン・オリバーJean Oliverとウェルドン・ロジャースから取っていて、オリバーはこのレコード会社に共同融資している者の娘だ)というレーベルを作っていたが、このレコードは西テキサスで大ヒットした。ラボックのあるお店では、1週間で250枚売ったのだ。ティーン・キングスの番組も、ティーン受けするゲストのアーティストを招くことがあり、ジョニー・キャッシュも出演した。オービソンと彼のバンドの演奏を聴いた後、サム・フィリップスSam Phillipsに連絡を取るように、キャッシュはロイにアドバイスした。

