序文
1950年代半ば、ニューヨーク・シティから40マイル離れた場所で育つということは、アメリカ音楽の中心で暮らすということだった。1880年頃に始まり、その後1931年に建設されたブリル・ビルディングBrill Buildingでは、ティン・パン・アレイのソングライターたちTin Pan Alley Songwritersがアメリカ音楽の主役だった。
1880年から、ニューヨークの街角では、アメリカのソングライターたちがピアノで曲を作っているのが聞こえた。その音楽は、多くのアパートの窓の下から、台所のブリキ鍋を何個も一緒に叩いているような音で、下の階の人々まで聞こえてきた。こうして「ティン・パン・アレイ・ソングライターTin Pan Alley Songwriters」という言葉が生まれた。彼らは、アメリカにおけるティン・パン・アレイ・ソングライターの第一波として知られるようになる。
1931年、タイムズ・スクエアTimes Squareのすぐ北にアラン・E・ルフコートAlan E. Lefcourtというかなり大きなビルが建てられ、株式仲買人や銀行家のための金融オフィスとして知られていた。
1931年までには、株式市場が暴落し世界恐慌が始まったため、ビルは空っぽになっていた。暴落と大恐慌の前には、このビルの1階にブリルという2人の兄弟が紳士服店を営んでいた。1931年、ビルは完全に空っぽになり売りに出された。ブリル兄弟The Brill brothersはこの機会を利用し、ビルを購入した。すぐにビルに入居するテナントを探し始めた。1931年、このビルはティン・パン・アレイ・ソングライターたちの第二波の拠点となった。ブリル・ビルディングThe Brill Buildingは今や、ビッグ・バンド・サウンドで知られるようになった。1931年以降、40年代から50年代初頭にかけて、ティン・パン・アレイのソングライターたちは、30年代から40年代のビッグ・バンド・サウンド(グレン・ミラーGlenn Miller、トミー・ドーシー、ジミー・ドーシーTommy and Jimmy Dorsey、ハリー・ジェームスHarry James、ベニー・グッドマンBenny Goodmanなどのバンド)、そして後に50年代初めの男女クルーナー(トニー・ベネットTony Bennett、ジェリー・ベイルJerry Vale)のために歌や曲を書き、プロデュースした。
クルーナーたちは、ティン・パン・アレイのソングライターたちが彼らのために書いたバラードを、40年代のビッグ・バンド・サウンドで歌っていた。クルーナーは、当時のビッグ・バンド・サウンドの男女リード・ボーカリストだった。フランク・シナトラFrank Sinatra、ビング・クロスビーBing Crosby、ドリス・デイDoris Day、ダイアナ・ショアDinah Shore、エド・エイムズEd Ames、ペリー・コモPerry Comoなどのクルーナーは、40年代のビッグ・バンド・サウンドで成功したクルーナーだった。
第二次世界大戦後、ビッグ・バンド・サウンドが終わると、クルーナーたちはソロ・レコーディングのキャリアをスタートさせ、苦労しながら50年代に入って行った。フランク・シナトラは50年代にソロ・レコーディング・アーティストとして大成功を収めた。ビッグ・バンド・サウンドとそのクルーナーたちは、30年代、40年代、50年代を通じて、もっぱらティン・パン・アレイのソングライターたちに頼っていた。