ジョニー・マーサーJohnny Mercerのようなティン・パン・アレイのソングライターは、ビッグ・バンド・サウンドの時代、ブリル・ビルディング・サウンドの一員だった。
マーサーは60年代に「レイジー・ボーンズLazy Bones」や「ムーン・リバーMoon River」で音楽史に名を刻んだ。
「ブルー・ムーンBlue Moon」、「スターダストStardust」、「センチメンタル・ジャーニーSentimental Journey」、「瞳は君ゆえにI Only Have Eyes For You」、「ディープ・パープルDeep Purple」、「オールウェイズAlways」、「あなたはしっかり私のものI’ve Got You Under My Skin」、「いつかどこかでWhere Or When」、「煙が目にしみるSmoke Gets In Your Eyes」などは、その時代のクルーナーやビッグ・バンド・サウンドで成功した曲の一部に過ぎない。
リズム・アンド・ブルース(R&B)やロックンロール(R&R)が50年代初頭に人気を集めると、これらのクルーナーたちの中には、メジャー・レコード・レーベルからブラック・ミュージックをカバーするように促された者もいた。これらの黒人音楽のカバ―・レコードは、メジャー・レコード・レーベルの重役たちの考えに基づいて、オリジナルの黒人音楽の露骨な歌詞、生々しい感情的な歌唱、粗雑なアレンジを受け入れそうにない主要なポップ・リスナー向けに変更した。そのため、ジョー・ターナーJoe Turnerのリズム&ブルースの「シェイク・ラトル・アンド・ロールShake, Rattle, and Roll」の歌詞は、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツBill Haley and his Cometsによる白人向けカバー・レコードでは、「あなたは胸元の空いたドレスを着ている / 陽の光が透けて見える」から「あなたはドレスを着ている /髪の毛をきれいに結い上げている」という歌詞に変更された。
当初、カバー・レコードは大成功を収めたが、すぐに白人のティーンエイジャーには不評となり、1957年にはアメリカのレコード業界からほとんど姿を消した。
1955年半ばから後半にかけて、ロックンロール現象は、ロックンロール・ミュージックを書き、プロデュースする新しいソングライターたちをブリル・ビルに集めることになる。これらのソングライターの多くは、初めてロックンロール・ミュージックを書く16歳の若いティーンエイジャーだった。キャロル・キングCarole King、ニール・セダカNeil Sedaka、ボビー・ダーリンBobby Darin、バート・バカラックBurt Bacharach、リーバー&ストーラーLeiber and Stoller、ポール・サイモンPaul Simon、フィル・スペクターPhil Spectorといったソングライターたちは、ロックンロール誕生におけるブリル・ビルディング時代の一部だった。
しかし、50年代半ばになると、ロックンロール・アーティストたち(中には13歳や14歳の若者もいた)は自分たちで曲を書くようになり、ティン・パン・アレイのソングライターたちの需要は少なくなっていった。ロックンロールの誕生が終わりに近づくにつれ、ティン・パン・アレイのソングライターは、ロックンロールという新しいジャンルの音楽にとってもはや重要ではなくなっていった。今日、ティン・パン・アレイのソングライターたちは姿を消したが、ニューヨークのブロードウェイから数ブロック離れたブリル・ビルディングでは、今でもその姿を見ることができる。