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ファッツ・ドミノの楽曲の多くを手がけたミュージシャンでありソングライターでもあるデイブ・バーソロミューDave Bartholomewが、リズム&ブルースはニューオーリンズで生まれ、ファッツ・ドミノはリズム&ブルース創始者の一人であると示唆した。
これはニューオーリンズ・サウンドと呼ばれて来た。この音楽は、粗野で性的な表現が多いため、多くの白人や黒人の大人たちに嫌われた。エタ・ジェイムズEtta Jamesの「ロック・ミー・ダディRock Me Daddy」、エタ・ジェイムズ・アンド・ザ・ピーチEtta James and the Peachesの「ロール・ウィズ・ミー・へンリーRoll With Me Henry」、ロイド・プライスLloyd Priceの「ローディ・ミス・クローディLawdy Miss Clawdy」などのロックンロール・ソングの歌詞は、すべて性交渉をほのめかすものだった。
ニューオーリンズ出身のファッツ・ドミノは、リズム&ブルースを全米に広めることに成功した最初の人物である。1949年にインペリアル・レコードImperial Recordsから「ファット・マンFat Man」でレコーディング・キャリアをスタートさせた。
彼はキャリアを通じて100枚以上のレコードを録音し、その音楽はリズム&ブルース・サウンドの典型例となった。ニューオーリンズは、ロイド・プライスLloyd Price、アーニーKドウErnie K Doe、クラレンス・フロッグマン・ヘンリーClarence Frogman Henry、ネビル・ブラザーズThe Neville Brothers、アーマ・トーマスIrma Thomas、スパイダースThe Spiders、ベニー・スペルマンBenny Spellmanなどのアーティストのサウンドを代表することになる。
初期のリズム&ブルースのパイオニアたちは、みな成人したプロのレコーディング・アーティストだった。50年代初頭、ニューヨークのアトランティック・レコードAtlantic Recordsは、レイ・チャールズRay Charles、ルース・ブラウンRuth Brown、ラバーン・ベイカーLaVern Baker、ビッグ・ジョー・ターナーBig Joe Turner、アイボリー・ジョー・ハンターIvory Joe Hunter、クライド・マクファター&ドリフターズClyde McPhatter and the Driftersとレコード・レーベル契約を結んだ。
エタ・ジェームスEtta James、チャック・ベリーChuck Berry、ボ・ディドリーBo Diddley、リトル・ウォルター&ヒズ・デルタ・キャッツLittle Walter and his Delta Catsはシカゴのチェス・レコードChess Recordsと、リトル・リチャードLittle RichardはLAのスペシャルティ・レコードSpecialty Recordsと、ジェシー・ベルビンJessie Belvinとエタ・ジェームスEtta JamesはLAのモダン・レコードModern Recordsと、そしてジョニー・エースJohnny Aceはデューク・レコードDuke Recordsと契約した。
ルース・ブラウンはアトランティック・レコードに大金をもたらしたので、「ルースが建てた家(アトランティック・レコード)」と呼んだ。