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1955年までに、リズム&ブルースは白人のティーンエイジャーが与えた影響によって変化していった。リズム&ブルース業界は、無邪気な時代における10代のアメリカ白人の生活をテーマにした音楽を作り始めた。1955年と1957年、ラバーン・ベイカーLaVern Bakerは「トウィードリー・ディーTweedlee Dee」と「ジムダンディJim Dandy」という2曲の大ノベルティー・ヒットを出した。
チャック・ベリーは「スクール・デイズSchool Days」、「スウィート・リトル・シックスティーンSweet Little Sixteen」、「ロックンロール・ミュージックRock And Roll Music」を、
サム・クックSam Cookeは「オンリー・シックスティーンOnly Sixteen」、「キュービッドCupid」、「ワンダフル・ワールド(What A) Wonderful World」、「アナザー・サタデイ・ナイトAnother Saturday Night」、「ツイストで踊りあかそうTwistin’ the Night Away」、「パーティーを開こうHaving A Party」、「エブリバディ・ライクス・トゥ・チャ・チャ・チャEverybody Likes To Cha Cha Cha」をレコーディングした。
ファッツ・ドミノは「アイ・ウォント・トゥ・ウォーク・ユー・ホームI Want To Walk You Home」、ボビー・フリーマンBobby Freemanは「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ダンス?Do You Want To Dance?」、ボビー・ルイスBobby Lewisは「トッシン・アンド・ターニンTossin’ And Turnin’」をレコーディングした。
ビリー・ブランドBilly Blandは「レット・ザ・リトル・ガール・ダンスLet the Little Girl Dance」、ディー・クラークDee Clarkは「ヘイ・リトル・ガールHey Little Girl」をレコーディングした。
リトル・リチャードLittle Richardは「のっぽのサリーLong Tall Sally」と「グッド・ゴリー・ミス・モリーGood Golly Miss Molly」を、ラリー・ウィリアムスLarry Williamsは「ショート・ファット・ファニーShort, Fat Fanny」と「ボニー・モロニ―Bonie Moronie」を録音した。
レイ・シャープRay Sharpeは「リンダ・ルーLinda Lu」を。
ジミー・ジョーンズJimmy Jonesは「ハンディ・マンHandy Man」と「グッド・タイミンGood Timin’」、クラレンス・フロッグマン・ヘンリーClarence Frogman Henryは「エイント・ガット・ノー・ホームAin’t Got No Home」を。
これらの曲はすべて、ティーン文化に関するものだった。1955年1月、アラン・フリードのおかげでリズム&ブルースはロックンロール・ミュージックとなった。フリードは、白人のティーンエイジャーがこの黒人音楽に興味を抱き、購買力を持つようになったため、この黒人音楽をロックンロール・ミュージックに作り変える必要性を感じ、ロックンロールという新しい言葉が彼らの音楽となった。
リズム&ブルースは1955年に3曲、1956年には17曲のトップ10ヒットを記録したが、それは、白人ティーンエイジャーが購買力をつけ、今やロックンロールと呼ばれるようになった黒人音楽を彼らが乗っ取るのに成功した結果である。
しかし、1956年までには、リズム&ブルースはロカビリー・ミュージックと呼ばれる新しいジャンルの音楽と競争しなければならなくなる。アメリカの白人ティーンエイジャーは、リズム&ブルースに好意的な態度を示すことはなく、主に南部の若い白人ティーンエイジャーのパフォーマーたちが演奏するこの新しい音楽に熱狂的に飛びついた。1959年までに、ロカビリー音楽はリズム&ブルース市場を凌駕した。