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ドゥーワップ・ミュージックの歴史
「ドゥーワップ・ミュージックを歌えば、女の子にモテる」
リトル・アンソニー&インペリアルズLittle Anthony and The Imperials 2010年
始めの頃、このジャンルの音楽(70年代初頭まで、実際にはドゥーワップとは呼ばれていなかった)は、1948年頃から1963/64年に消滅するまで短命だったためか、ロックンロール・ミュージック誕生の重要な一部としては見過ごされ、過小評価されていた。しかし、この期間に3万枚以上のドゥーワップのレコードが作られた。1958年末までに、ドゥーワップのレコードはロックンロール市場とラジオを席巻した。さらには、1955年から1960年にかけてヒットしたロックンロールの17%がドゥーワップのレコードだった。50年代後半から60年代前半まで、ドゥーワップのレコードは10代の若い学生が作っていた。
ドゥーワップ・ミュージックの実際の定義は、「リード・シンガーのバックでハーモナイズする歌唱グループのサウンド」である。ドゥーワップのルーツを持つ最初のグループは、1946年にソニー・ティルとオリオールズSonny Till and the Oriolesによって結成されたメリーランド州ボルチモアのグループで、最初の名前はビブラネアーズThe Vibranairesだった(ソニー・ティルとオリオールズを参照)。
最初のドゥーワップ・レコード「イッツ・トゥー・スーン・トゥ・ノウIt’s Too Soon To Know」は、1948年にソニー・ティルとオリオールズというドゥーワップ・グループによって作られた。
オリオールズのリード・シンガーはソニー・ティル(本名アーリントン・ティルグマンEarlington Tillghman)で、メリーランド州ボルチモア出身のグループは、ジュビリー・レコード・レーベルJubilee Record labelで非常に多くのレコーディング・キャリアを積んだ。
白人市場と黒人市場の両方にアピールするため、ジャズやブルースの要素を取り入れ、非常に洗練されたポップな歌い方をしていた。最大のリズム&ブルースのヒットは1953年の「クライング・イン・ザ・チャペルCrying in the Chapel」で、リズム&ブルースのチャートで1位、ビルボードのポップ部門で11位を記録した。オリオールズは1994年にロックの殿堂入りを果たした。(ソニー・ティルとオリオールズ参照)。
ドゥーワップは、50年代初期に(リズム&ブルースとは異なり)グループ自身が名付けたリズム&ブルースである。ドゥーワップ・グループとは、クローバーズThe Clovers、ファイブ・キーズThe Five Keys、フラミンゴThe Flamingos、ムーングローズThe Moonglows、ハープトーンズThe Harptones、ビリー・ワード&ドミノースBilly Ward and The Dominoes、ドリフターズThe Drifters、スパニエルズThe Spaniels、レイブンズThe Ravensなどである。
これはドゥーワップのパレオ期(1952年~1954年)と呼ばれる。ドゥーワップの歌詞が歌われた最初のレコードは、1953年(リリースは1960年)のクライド・マクファター&ドリフターズClyde McPhatter and The Driftersの「レット・ザ・ブギー・ウギー・ロールLet the Boogie Woogie Roll」である。
ダンディーズThe Dundeesの「ネバ―Never」(1954年)、ターバンズThe Turbansの「フェン・ユー・ダンスWhen You Dance」(1955年)、デビルズThe Devilesの「キス・ミー・アゲイン・アンド・アゲインKiss Me Again and Again」(1958年)、ベルベッツThe Velvetsの「今宵こそは(Tonight) Could Be The Night」(1961年)など、何年もの間、他のグループも自分たちの曲にドゥーワップを加えてきた。