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1961年、ドゥーワップ・リバイバルが始まり、シェップはその波に乗ろうと「シェップ&ライムライツShep and The Limelites」という別のグループを結成する。このグループは 「ダディズ・ホームDaddy’s Home」(シェップ・シェパードを参照)という大ヒット曲を出す。
ドゥーワップ・ミュージックの大きな変化は1955年に始まった。学齢期の白人ティーンエイジャーたちが、それぞれのコミュニティでドゥーワップ・グループを結成したのだ(自分たちで曲を作ったグループもある)。その良い例が、10代の白人ドゥーワップ・グループ、キャシー・ヤング&イノセンツKathy Young and The Innocentsで、1961年に「ア・サウザンド・スターズA Thousand Stars」が3位のヒットを記録した。
この曲はもともと、1954年に黒人のドゥーワップ・グループ、リビリアーズ
The Rivileersがレコーディングしたものだった。
50年代後半、ブリル・ビルディングの才能あるソングライター、キャロル・キングCarole Kingとニール・セダカNeil Sedakaは、10代のドゥーワップの曲も書いていた。
ポール・サイモンPaul Simonとキャロル・キングは、ニューヨーク・エリアの高校に通いながら、15歳で「ジャスト・トゥ・ビー・ウィズ・ユーJust To Be With You」のデモをレコーディングした。
1960年から1963年にかけてのドゥーワップ・リバイバル期は、ドゥーワップ・ミュージックの最後の大きな変化となる。リード・テナーはファルセット・ボイスに取って代わられた。楽器編成が増え、ベース・パートはよりヘビーで目立つようになり、より複雑なナンセンス・シラブルが曲を支配するようになった。
ティン・パン・アレイ・ソングライターたちは、ドゥーワップ・リバイバルの時代に直接関わった。ドゥーワップのリバイバル・グループには、「トゥナイト・アイ・フェル・イン・ラブTonight I Fell In Love」のトーケンズThe Tokens、「デニースDenise」のランディ・&レインボウズRandy and The Rainbows、「会ったとたんに一目ぼれTo Know Him Is To Love Him」のテディ・ベアーズThe Teddy Bears、
「フールズ・フォール・イン・ラブFools Fall In Love」のドリフターズ The Drifters、「ブルー・ムーンBlue Moon」のマーセルズThe Marcels、「プリティ・リトル・エンジェル・アイズPretty Little Angel Eyes」のカーティス・リー&ヘイローズCurtis Lee and The Halos、
「バーバラ・アンBarbara Ann」のリージェンツThe Regents、「ホエン・ウィ・ゲット・マリードWhen We Get Married」のドリーム・ラバーズThe Dream Lovers、「ダイヤモンド・アンド・パールズDiamond And Pearls」のパラドンズThe Paradonsなどがいる。