シド・ネイサンSyd Nathan(1904-1968)キング・レコードKing Recordsのオーナー、オハイオ州シンシナティ
シドは挫折したミュージシャン(ジャズ・ドラマー)で、後にカントリー&ウェスタンとリズム&ブルースのレコード・プロデューサーになった。1943年、シンシナティ地区の店の裏でキング・レコードという独立系レコード・レーベルを立ち上げた。より良い生活(工場での仕事)を求めて南部から移住してきた貧しい白人や黒人たちに、好きな音楽、つまりカントリーやこの新しいリズム&ブルース・ミュージックを提供する必要性を感じていた。
キング・レコードが非常にユニークだったのは、白人向けのレコード(カントリー・ミュージック、ブルーグラス、昔のゴスペル・ミュージック)とアメリカの黒人向けレコード(リズム&ブルース)の両方をプロデュースできたことだ。主要な白人音楽レコード会社(キャピトルCapitolのような)は、黒人の音楽を収益性のあるレコード市場として認めようとしなかった。
50年代の終わりまでに、キング・レコードはアメリカで6番目に大きなレコード・レーベルとなった(従業員400人以上)。アトランティック・レコードやチェス・レコードと同様、キング・レコードはロックンロール誕生の道を開いた。
1950年にキングがフェデラル・レコードFederal Recordsを立ち上げたのは、この方面のビジネス(リズム&ブルース)がカントリーやブルーグラス・ミュージックを凌駕していたからだ。50年代中期から後期にかけてフェデラル・レコードは、オーティス・ウィリアムス&チャームズOtis Williams and the Charms「ハーツ・オブ・ストーンHearts of Stone」、
ファイブ・ロイヤルズThe Five Royales「シンクThink」、
ジェームス・ブラウンJames Brown「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please Please Please」(ジョン・リッチバーグJohn Richburgを参照)、
スワローズThe Swallows、
ハンク・バラード&ミッドナイターズHank Ballard and The Midnighters(ツイストを録音した最初のレーベル)「アニー・ハッド・ア・ベイビーAnnie Had a Baby」、
ファイブ・キーズThe Five Keys「ドリーム・オンDream On」、
アイボリー・ジョー・ハンターIvory Joe Hunter、
ボイド・ベネットBoyd Bennett「セブンティーンSeventeen」、
リトル・ウィリー・ジョンLittle Willie John「フィーバーFever」、
ボビー・フリーマンBobby Freeman「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ダンスDo You Want to Dance? 」などをリリースした。
ビル・ドゲットBill Doggett「ホンキー・トンクHonky Tonk」、
ビリー・ワード&ドミノスBilly Ward & The Dominoes「シックスティ・ミニット・マンSixty Minute Man」を出した。
50年代半ばになると、部下を雇って全米を旅し、黒人のバーやクラブ、そしてアーティストがいると分かっている場所(レコード業界を参照)でリズム&ブルースのタレントを探した。60年代の終わりまでには、彼の主要なリズム&ブルース・レーベルはキング、デラックスDeluxe、フェデラルとなった。
40年代初期から中期にかけてのアトランティックやチェス・レコードのように、キング・レコードは、初期の独立系黒人レコード・レーベルであり、アメリカにおけるリズム&ブルースの道を切り開いた。シドはロックの殿堂入りしている。