ウェスタン・スイングは、もし専門でなくても、バンドの演奏曲目に入れておいて良いものだった。
アドルフ・ホフナーAdolph Hofnerのオーケストラは、ほとんどのテキサス・ポルカ・バンドよりも広範囲にツアーを行ったが、それはチェコ系テキサス人以外の観客にスイングの全プログラムを演奏できたからだ。
また、ロイ・ロジャースRoy Rogersとボブ・ノーランBob Nolanがリードするボーカル・グループで、「タンブリング・タンブルウィーズTumbling Tumbleweeds」など純粋なウェスタン・ソングで最もよく知られるサンズ・オブ・パイオニアーズThe Sons of The Pioneersは、グループ発足の早い時期から、テキサス人のヒューHughとカールKarlのファーFarr兄弟を参加させたのだが、それは、カールがバスを歌えるからだけでなく、情熱的なフィドル演奏とギタリストの兄弟とのデュエットのためだった。
もちろんサンズは、ロイ・ロジャースの多くの映画に出演し、その結果、ボブ・ウィルスも、特に、カリフォルニア州サクラメントの近くに建設したウィリス・ポイントという、レストラン/ダンス・ホール/観光牧場の複合施設に移った後は映画を作った。ウェスタン・スイングそれ自体は、発祥地(テキサス州、オクラホマ州、1930年代のダスト・ボウル移民後はカリフォルニア州)以外で、大きなジャンルになることは決してなかったが、時折カントリー・チャートでヒットし、少なくとも1950年代いっぱいまでは続いた。
レコード業界は大恐慌でひどい痛手を被った。この当時、不景気な時ほどエンターテインメントが好調になるという経済法則が生まれたのだが、ここでいうエンターテインメントは、高い制作価値のある種類のもの(例えば、バスビー・バークレーBusby Berkeley の映画ミュージカル、『オズの魔法使いThe Wizard of Oz』や『風と共に去りぬGone with the Wind』などの映画)やライブ・ミュージックのことだった。
せいぜい6分間の音楽しか流さないものに1ドル使うのは、良いバンドのダンスに行くのに10セントか25セント使うことの次にばかげたお金の浪費だった。(1ドルで3枚のバーゲン・セールでさえ、1ドルで6曲しか聞けず、しかもレコードは直ぐに擦り切れてしまった。)そして、ブルースやカントリーの音楽を買うような人達は、これまで以上に自由に使えるお金が少なくなり、もっとも有名なデルタ・レコードDelta recordsのブルースマン、ロバート・ジョンソンRobert Johnsonのレコーディング・キャリアをダメにする間接要因となった。
ジョンソンがレコーディングしたのは遅く、1936年と37年の2回、セッションが行われ、最初にリリースした「テラプレーン・ブルースTerraplane Blues」だけが、ともかくも売れた。
残りは、申し分のない名演奏で作曲も素晴らしかったが、ほとんど売れずに倉庫に放置されたので、それほどの名演奏をするために悪魔に魂を売ったという伝説ができ上がった。事実かどうかは不明だが、1938年に死亡し、おそらくどこかの嫉妬深い夫によって毒殺されたのだろう。