1957年7月6日、リバプール近郊のウールトンの教会のお祭りで、あるスキッフル・グループが演奏してした。クオリー・メンThe Quarry Menはほとんどがクオリー・バンク・ハイ・スクールQuarry Bank High Schoolの学生で、聴衆の中にどうしてもミュージシャンになりたい子がいた。



ポール・マッカートニーPaul McCartneyはすでにトランペットを演奏していたが、近所の子のジョージ・ハリソンGeorge Harrisonは、父親からもらったギターで時々一緒に演奏した。

二人とも、リバプールの大きな家具とレコードのお店であるネムズNEMS(ノーザン・イングランド・ミュージック・サービシーズNorthern England Music Services)をぶらついて、良いと思った曲だけでなく、青色と銀色のロンドン・アメリカンLondon American のレコードを探した。

そこは、町で最もレコードの品揃えがよく、当時の多くのレコード店と同様に試聴ブースがあって、買おうとする有望な商品を視聴することができた。ある日、ポールの友達のイバン・ボーガンIvan Vaughanが、自分の幼なじみがクオリーメンというバンドを持っていて、ウールトン教会のお祭りに来ると話したので、二人は自転車に乗って町の向こうまで見に行った。

彼らがそこに行くと、何に対して興奮しているのかがポールには分かった。明らかにリーダーだとわかる若者は、ギター演奏はあまりうまくなかったが、強い雰囲気を押し出していた。そのバンドがデル・バイキングスThe Dell Vikingsの「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go with Me」を始めると、この男が歌いながら歌詞を作っていて、しかもそれが気の利いた歌詞になっていたことがポールには分かった。

バンドがステージから下がると、イバンはポールを連れて、幼なじみでリーダーのジョン・レノンJohn Lennonに会わせに行った。

二人はお互いに警戒していたが、ポールは魅了されたので、イバンと共にクオリー・メンの2回目のステージを待ち、クオリー・メンが小さなダンス・バンドの前座として、ライブ演奏をするために教会の集会ホールまで一緒に行った。集会ホールの準備ができるのを待ちながらぶらぶらしている間、ポールはジョンのギターを借りていいかと尋ね、バンジョーのようにチューニングされていることに気づいた。ポールはチューニングし直してよいかと聞き、そうした後、「女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help It」のサウンドトラック曲で、エディ・コクランEddie Cochranの「トゥエンティ・フライト・ロックTwenty Flight Rock」を演奏し始めた。


この曲にはペースの早い歌詞がたくさんあったのに、それを上手に演奏したので、ジョンは感動した。自分の演奏をみんなが楽しんでいるのを見て、すかさず「ビー・バッパ・ルーラBe-Bop-A-Lurla」と2曲ほど演奏し、

![]()
そのあと、ギターを下ろしてピアノに座ると「ロング・トール・サリーLong Tall Sally」を演奏した。


![]()
彼らは10時ごろまでぶらぶらし、それから酒を飲める年で通るかどうかを見るためにパブに行った。(マッカートニー15歳、レノン17歳間近だった。)最後に別々に家路についたが、レノンは友人と歩きながら、ポールをクオリー・メンに参加させるべきかどうかを尋ねた。ポールはほかの連中よりずっと演奏が上手だったので、反感があるかもしれなかった。しかしレノンは反感があっても、自分の野望のためには構わなかった。
