次のビートルズの課題は「レコーディング・テスト」、つまり1月1日にロンドンのデッカDeccaで実施される録音セッションだった。

これはオーディションではない。マイク・スミスMike Smithはキャバーンで彼らを見て、その有能さに着目したが、今度はスタディオで持ちこたえられるかどうかを見る必要があった。

ビートルズは15曲演奏し、そこには、チャック・ベリーChuck Berry(「メンフィスMemphis」やミュージカルの楽曲「ティル・ゼア・ワズ・ユーTil There Was You」)、

![The Beatles – Till There Was You – Vinyl (7", 45 RPM), 1982 [r3305783] | Discogs](https://i.discogs.com/hhclV8i8iwQZBakGUWs-BshlZdViRZI3lgVu1gab69Y/rs:fit/g:sm/q:90/h:569/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTMzMDU3/ODMtMTMyNDk1Nzk4/NS5qcGVn.jpeg)
ダサくて年寄りの好きな曲(「べサメ・ムーチョBesame Mucho」)、そしてレノン・マッカートニーLennon-McCartneyの楽曲3曲(「ラブ・オブ・ザ・ラブLove of the Love」など)もあった。

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後にジョン・レノンJohn Lennonはこの時に録音したテープを、「ひでえ」と評した。
スミスはビートルズにお礼を言い、デッカではいろいろ手間がかかるから、何らかの決定が出るまで少なくとも3週間必要だろうと言った。リバプールにやっと戻ってくると、最新号のマージー・ビート誌Mersey Beatの見出しに、「ビートルズ人気投票第1位」とあった。
競争相手を打ち負かし、紙面に名前を正しく綴っていた。(それでもポールはダメで、今度はMcArtreyとなっていた。)翌日、ポリグラム・レコードPolygram recordsは「マイ・ボニーMy Bonnie」をリリースし、業界紙、ファンの論評ともに良かったが、かすりもしなかった。ブライアンはお店用に大量のレコードを注文したが、そのレコードを欲しがるほとんどのリバプールの人は、ドイツ盤が最初に入ってきたときにそれを買ったので、ブライアンの注文したものは売れずに奥に置いたままになった。まあ、小売業ってのはそんなもんだ。ブライアンは弁護士達の用意したマネージメント契約書をまだ持っていて、1月24日、彼らは署名して(というより、署名した者もいたが、ブライアンはなぜか署名しなかった)、ブライアンを1967年までマネージャーに指名した。ブライアンは15%を受け取ることになった。次に遂行すべき仕事は、BBCのラジオ演奏オーディションに申し込むことで、その申込書はマンチェスターの地域事務所に送られ、その返信を受け取り、2月8日に出演することになった。物事は順調に進み、ブライアンはデッカとの昼食会にロンドンへ呼ばれた。
