メディアはエレキ・ミュージックに目覚めたようだ。ロンドンでは、アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレーティッドAlexis Korner’s Blues Incorporatedがオックスフォード・ストリートの名門ジャズ・クラブ、イーリング・クラブthe Ealing Clubやマーキーthe Marqueeで毎週演奏し、BBCラジオが7月12日の番組ジャズ・クラブJazz clubにアレクシスが出演する件で連絡してきた。



それはマーキーの夜の公演だったので、ライアン・ジョーンズ&ヒズ・バンドBrian Jones and his bandがその晩の仕事をとれるようにアレクシスが頑張り、ロング・ジョン・ボルドリーズ・カンサス・シティ・ブルー・ボーイズLong John Baldry Kansas City Blue Boysが前座を務めることになった。


彼らには大至急バンド名が必要になったので、マディ・ウォーターMuddy Water の「マニッシュ・ボーイMannish Boy」から頂いたのだが、この曲でマディは「オー、アイム・ア・ローリン・ストーン!」と叫んでいる。
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ブライアンはローリンthe Rollin’ を名前の一部にしたかったが、代理出演を報じたディスク誌Discも、マーキーの広告もそのバンド名をローリング・ストーンズThe Rolling Stonesと綴ったので、それに屈した。

ブライアンはマーキーの宣伝が、ミック・ジャガー&ローリング・ストーンズMick Jagger and The Rolling Stonesとなっていたので不満だったかもしれない。

しかし、ジョージ・マーティンは自分のプロデュースしている新バンドを、ジョン・レノン&ビートルズJohn Lennon and The Beatlesか、ポール・マッカートニー&ビートルズPaul McCartney and The Beatlesに改名しようとしていたのだから、同じようにこのイギリスの伝統に立ち向かっていたわけだ。


この晩のバンドは、ジャガーJagger、リチャーズRichards、ジョーンズJones、ディック・テイラーDick Taylor、イアン・ストゥワートIan Stewartで、ドラムはミック・アボリーMick Avoryだった。
誰もその晩のことをほめて書き立てなかったようだし、そう書くわけはないだろうが、バンドは盛り上がった印象を持った。間もなくして、ミック、ブライアン、キースはチェルシーの中で当時、エディス・ロード102番地のアパートをシェアした。
その後ロンドンの中でもかなり低所得向けの地域でジェームス・フェルジJames Phelgeと一緒に住んだが、その人のことを彼らはなぜか「ナンカーNanker」と呼んでいた。

彼らは角にあるウェザービー・アームスthe Weatherbe Armsというパブで練習していた。ライブの仕事がなかったので住むところがあって幸いだったが、マンハグ・ブルース・バンドThe Mann-Hugg Blues band(ポール・ジョーンズPaul Jonesと名乗って演奏していたポール・ポンドPaul Pondと一緒だった)やブルース・バイ・シックスBlues By Sixというグループにはライブの仕事があった。

彼らはチャーリー・ワッツCharlie Wattsに加わってほしいと懇願していて、ほとんどの時間をドラマー抜きで練習していたが、当人は慎重だった。

バンドは評判が悪かったが、その主な理由はブライアンが突拍子もない行動をとるからで、ジャズ界は彼らの見た目が汚く、だらしないことを非難していた。
