スペクターは飛行機が嫌いだったが、カリフォルニアで長期間過ごし、そこでデュアン・エディDuane Eddyを有名にしたレスター・シルLester Sill、リー・ヘイズルウッドLee Hazlewoodとたむろした。




スペクターはシルと旅をしている間にフィレスPhilles(フィルとレスPhil and Les)というレーベルを設立し、誰にも話をしないでクリスタルズThe Crystalsをそのレーベルと契約させた。


ビッグ・トップがクリスタルズと契約しようとして、彼女たちからシルに電話させたが、彼女たちが電話を切るとスペクターは解雇された。

スペクターはそれを気にしなかったのだが、その理由は、シルがボーカル・トリオのパリス・シスターズThe Paris Sistersと契約し、どのレーベルにも売り込めなかったので、自分の会社、グレグマーク・レコードGregmark Recordsを作り、そのプロデュースをさせるためにスペクターを雇用したからだ。


どうやら、テディ・ベアーズThe Teddy Bearsのような静まり返ったサウンドを思い起こさせるようにしてみたら、ぼんやりした不明瞭な音作りになり、彼が最初にプロデュースした彼女たちの「ビー・マイ・ボーイBe My Boy」は少ししかヒットしなかったので、


スタディオに戻って作った「忘れたいのにI Love How You Love Me」はもっとぼんやりした曲だった。

![The Paris Sisters – I Love How You Love Me – Vinyl (Alco Pressing, 7", 45 RPM, Single), 1961 [r5969654] | Discogs](https://i.discogs.com/6gwYDvEb7x5au1I8gkaGfrXMY1WjIBD49SqDO2jSZFA/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:596/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTQ3MzAw/NzgtMTM3MzY2MDM2/NS04MjY2LmpwZWc.jpeg)
スペクターはストリングスだけで30以上ミキシングしたと言っているが、トップテンに入ったのだから、それだけの価値はあった。
ニューヨークでは、ユナイテッド・アーティスツ・レコードUnited Artists recordsの子会社レーベル、ミュージカー・レコードMusicor recordsが、


リッキー・ネルソンRicky Nelsonのために「ハロー・メリー・ルーHello Mary Lou」を


書いたソングライター、ジーン・ピットニーGene Pitneyをスペクターとペアにして、「アイ・ウォナ・ラブ・マイ・ライフ・アウェイI Wanna Love My Life Away」をマイナー・ヒットにしたので、


二人は「エブリ・ブレス・アイ・テイクEvery Breath I Take」に再挑戦するチャンスをもらい、これがスペクターのますます奇妙なスタディオ利用法に拍車をかけることになった。

しかし、これが顕著に現れたのが10月末にリリースしたクリスタルズThe Crystalsのレコード、フィレス100 Philles100の「ゼアズ・ノー・アザーThere’s No Other (Like My Baby)」だった。

一つのレーベルと、一つの時代が誕生した。
