1957年、科学者、反戦活動家、フォーク・ソング・ファンであり、初期スキッフル・グループを支えていたジョン・ハステッドJohn Hastedがスキッフルからの引退を表明した時、雑誌のコラムに「スキッフルが下火になる時、二つの方向に分かれるだろう。ロックンロールとフォーク音楽だ」と書いた。
![]()
ロンドンではすでにその初期の証拠が出ていた。アレクシス・コーナーAlexis Korner、シリル・デイビスCyril Daviesは名声を確立したカントリー・ブルース・デュエットで、ランブリン・ジャック・エリオットRamblin’ Jack Elliott は、再登場してアメリカのバンジョー演奏の友人、デロール・アダムスDerroll Adamsに、イギリスに来てフォーク音楽を一緒に広めようと声をかけたところ、ある種のティーンエイジャーがソーホーにあるコーヒー・バー「2I’s」に現れ、ギターをジャンジャン鳴らし続け、この店のジュークボックスに入っているロックンロール・レコードのほぼ全部をコピーして演奏しようとした。




そして彼らはそこでどんどん見い出された。テリー・ウィリアムズTerry Williamsは郊外から友人と二人で何が起きているかを見に来て、見物した後、ギターを持って戻って来てオーディションをしてほしいと言った。テリーは合格し、マネージャー・タイプの人が現れ、突然、イギリス最新のロック・センセーションを起こすテリー・ディーンTerry Deneとなった。

アレックス・ウォートンAlex Whartonとマイケル・ミッキー・ヘイズMichael “Mickie” Hayesは2I’sの1階と2階のバーで演奏し、店の一部となるとともに、ヘイズはなんでも「最高」と呼ぶ、ひどく大げさな言葉づかい(あるいは、本人が最高だと思った)で目立った。ヘイズは直ぐにミッキー・モストMickie Mostとして知られるようになった。
結局、ミッキーとウォートンはモスト・ブラザースThe Most Brothersとして、ハウス・バンドのレゾボーLes Hobeauxと共演することになり、マネージャーをつけてもらった。
![Les Hobeaux – Soho Skiffle – Vinyl (7", EP), 1957 [r3730861] | Discogs](https://i.discogs.com/6E0cmaeoBIM_6LBiqNyWOOxNtX-nEPhpHoO102d_c3g/rs:fit/g:sm/q:90/h:595/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTM3MzA4/NjEtMTM0MjA5MTk1/My04MDY0LmpwZWc.jpeg)
1957年後半、BBCテレビジョンの「ザ6.5スペシャル The 6.5Special」は2I’sからライブ放送して、たくさんの人気タレントをフィーチャーし、ロンドンはロックをしていること、そしてスキッフルをしていることを、全国が突然知るようになった。

1958年にはもっとたくさんのスターが現れた。
