第15章 異国での2回目の幕間
アメリカのロックンロールがようやくイギリスのティーンエイジャーに浸透したのはマントバーニMantovaniのおかげだ。

こう書くとアニュンジオ・マントバーニAnnunzio Mantovaniの音楽を知っている人には奇異に聞こえるだろうが、自分の名前をトレードマークにして、シュトラウスのワルツのような軽快なクラシックだけでなく、セミ・クラシック風アレンジ (滝が流れるような『カスケーディング・ストリングスcascading strings』という演奏法が特徴) で、ポップ・ソングを演奏するストリング・オーケストラを指揮したアルバムを次から次へと発表した。
マントバーニはイギリスで生活し、レコードの録音状態が良く、ハイファイの初期に大ヒットを飛ばしていて、家でさっとかけると二十数分間、バック・グランド・ミュージックになった。イギリスのデッカDeccaに所属していたマントバーニは、アメリカの子会社ロンドンLondon Records(イギリスのデッカはアメリカにおけるデッカDeccaという名前の権利を喪失していた)から、アルバムをリリースしていて、非常に好調だった。デッカはこの資金をもとに、逆向きの仕掛けがうまく行くかもしれないと考え、イギリスにロンドン・アメリカンLondon Americaというレーベルを設立してニューヨークのミミ・トレペルMimi Trepelという女性を任命し、イギリスで発売するため、アメリカのレコードを入手させた。トレペルはチャートの研究を始め、レコード会社からの申し込みを歓迎したが、大手はすでに海外に支店があるので、そのほとんどは独立系だった。彼女は人気が出るレコードを見つける素晴らしい嗅覚を持っていることが明らかになった。初年の1956年にロンドン・アメリカンがリリースしたレコードの中には以下の曲があった。リトル・リチャードLittle Richardの「リット・イット・アップRip It Up」、

ボビー・チャールズBobby Charlesの「シー・ユー・レイター・アリゲーターSee You Later, Alligator」、

スマイリー・ルイスSmiley Lewisの「ワン・ナイトOne Night」、


カール・パーキンスCarl Perkinsの「ハニー・ドントHoney Don’t」。

