(バラードはツイストの競争でチャビー・チェッカーChubby Checkerに負けたものの、この夏は好調で、結局、ツイストやレッツ・ゴーだけでなく「フィンガー・ポッピン・タイムFinger Poppin’ Time」も同時にチャート入りさせた。)
しかし、バラードの競争は疑いの余地なく、レイ・チャールズのABCパラマウントABC-Paramountにおける2曲目のシングル、ホーギ―・カーマイケルHoagy Carmichaelの昔の曲「我が心のジョージアGeorgia on My Mind」が圧勝した。


この曲は少しだけアレンジされ、チャールズのゴスペルに浸った声によってどれほどこの土地を恋しがっているかが伝わり、例え、そこに行ったことがない人であっても恋しくなると思わせてしまった。
デトロイトでは、ついにベリー・ゴーディBerry Gordyが、レコードを定期的に出し始めるのに十分な資本を集めた。
ゴーディの最初の新規契約者はリトル・ウィリー・ジョンLittle Willie Johnの妹、メイブル・ジョンMable Johnだった。


彼女はゴーディの運転手としての仕事をしていたが、徹底的な訓練計画を受けるためにゴーディが契約した最初の歌手だった。ゴーディは全く運転を習わなかった。このレーベルでの彼女の最初のレコード、「フー・ウドゥント・ラブ・ア・マン・ライク・ザット?Who Wouldn’t Love a Man Like That?」はヒットしなかったが、良い曲だったし、彼女は我慢した。

次は10代のソングライターのマリー・ウェルズMary Wellsで、自分の書いた曲「バイ・バイ・ベイビーBye Bye Babyをジャッキー・ウィルソンJackie Wilsonに渡してくれるよう、ゴーディに頼んだ。ゴーディはマリーに、自分の会社を持っているから、母親と一緒に翌日立ち寄って歌唱力を聞かせてくれるように頼んだ。


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ゴーディはこの曲をとても気に入ったので22回のテイクを録り、結局R&Bのトップテンに入り、ポップでも多少ヒットして、ゴーディの最初の成功となったが、ゴーディにとってはすぐ後にミラクルズThe Miraclesの最初のレコードが続いた。

