隣の部屋では、同じくABC放送でテレビ番組を持っていたアラン・フリードAlan Freedが、一連の厳しい尋問にじっと耐えていたが、「ABCパラマウントABC-Paramount・レコードに著しく肩入れし、ライブ・ショーをパラマウント劇場でしか行わないように言われた」と話した。(クラークはこのことを証言の中で嘲笑した。)


![Various - Dick Clark - All Time Hits Vol.2 [45rpm 7inch EP,w/PS] – NIGHT BEAT RECORDS](https://nightbeatrecords.com/cdn/shop/files/IMG_20240827_0061.png?v=1724758292)
アラン・フリードは、クラークが宣誓証言書に署名したことに関して申し立てを行い、ABC放送は二重政策を取り、汚れているかもしれない関係を断ち切ることを許したと発言した。

翌週アラン・フリードは、ロサンゼルスのKDAY局で働くと発表したが、ここはロックンロールをかけないと大々的に発表した放送局で、アランはここでリズム&ブルースしかかけないことになる。翌週起訴されたのは、アラン・フリード、メル・リーズMel Leeds(元DJで、KDAY局の番組ディレクターになった)、トミー・ドクター・ジャイブ・スモールズTommy “Dr. Jive” Smalls、ハロルド・ジャクソンHarold Jackson、WLIB局「ザ・ボイス・オブ・ハーレムThe Voice of Harlem」のジャック・ウォーカーJack Walkerだった。

アランは26の訴因で起訴され、1958年と1959年にレコード会社7社から3万650ドルの賄賂を受領したとされた。そして衝撃は続いた。プロデューサーのヒューゴ & ルイジ Hugo & Luigi、カントリー・レーベルのスターデイStarday、スペシャルティSpecialtyのアート・ループArt Rupeが供応を受け、間もなく、スーSue、フィエスタFiesta、セプターScepter、ランクRank、オールド・タウンOld Town、ピーコックPeacockの各レコード会社が告訴されたのだが、述べておかなければいけないのは、どれも小さい独立系の主に黒人レーベルだったということだ。





![Soldier Boy The Scepter Records Story [Import]](https://m.media-amazon.com/images/I/71fjgGyhF1L._UF894,1000_QL80_.jpg)


ループは、アメリカン・バンドスタンドが要求しているとされるペイオーラ増額とか、政府からの喚問を受け、ソニー・ボノSonny Bonoをオフィスに呼び、「君がひどくがっかりするのは分かっているし、私も本当に残念だが、もうどうすることもできない。

もう耐えられないので、廃業する。あまりに歪んでいて、もう我慢できない。」それとともに、素晴らしいリズム&ブルースとゴスペルのレーベルの一つが活動を停止し、ループはこの会社を冬眠状態のまま存続させ、数十年後に再発売レコードが大歓迎を受けて復活した。彼はバカでなかったので、ロサンゼルスの不動産業界に参入して、レコード会社にいた場合より遥かに成功した。アラン・フリードに関しては、何年もペイオーラ事件と戦い、財産(どれだけ稼いだにせよ)を使い尽くし、結婚生活は破たんし、ますます酒量が増えた。1965年43歳の時、悲惨でほとんど忘れられた状態で死んだ。悲痛に当たる医学用語が認められていないので、死亡証明書には尿毒症と書いてあった。
