こんな騒ぎがあったので、サム・フィリップスSam Phillipsは1952年1月にメンフィスで、思い切った行動をとった。


サムは、ジャッキー・ブレンストンJackie Brenstonをチェス兄弟the Chess brothersのところに送り込んで、ロサンゼルスにあるモダン・レコードModern recordsのビハリ兄弟の怒りを買い、その後、ハウリン・ウルフHowlin’ Wolfのレコーディングしたものを両方に送って、その上BBキング B.B. Kingがビハリ兄弟のRPMレーベルから出して1位になったのだが、このレーベルは明らかにキングのために作ったものだ。



![B.B. King – B.B. Blues / She's Dynamite – Shellac (10", 78 RPM), 1951 [r20256235] | Discogs](https://i.discogs.com/__flLEYMqPGnE88F57zqP-CqhHPPVgYwwcZK7PVsh7o/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:599/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTIwMjU2/MjM1LTE2MzE4MTE4/NzAtNTY2OS5qcGVn.jpeg)
サムは他のレーベルのために、他のアーティストのレコーディングをしたがヒットはしなかった、しかしもしヒットしたらどうなるのか?古い諺にあるように、蛇のためにカエルを太らせるのにうんざりしていた。「本当はレコード・レーベルを設立したくなかった」と後に語っている。「正直に言って、それだけはしたくなかった。しかし、それらのレーベルが、私のところのアーティストをメンフィスでレコーディングさせるか、あるいはほかに連れていくか、迫ったんだ。」ナッシュビルにいるジム・ブレットJim Bulleitに資金を依頼して、レーベルの名前を考え出したが、それはサンであり、黄色とブラウンのレーベル・デザインは学校時代から旧知のアーティストの好意によるもので、雄鶏、光線を放つ半円、音符(曲にはなっていない)、円の底にはメンフィス・テネシーMemphis, Tennesseeの表記がある。
![Eddie (Guitar Slim) Jones – Certainly All / Feelin' Sad – Vinyl (7", 45 RPM, Reissue), [r15214383] | Discogs](https://i.discogs.com/AxIZtKpQNcpJZMTozrb5qyzKg0opCafefkrsAkIekYY/rs:fit/g:sm/q:90/h:598/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTE1MjE0/MzgzLTE1ODgxOTgz/NDEtMTE0Mi5qcGVn.jpeg)
2月に、ジャッキー・ボーイ・アンド・リトル・ウォルターJackie Boy&Little Walterの「セリング・マイ・ウィスキーSelling My Whiskey」をダビングしたレコードをメンフィスのDJ数人に送った。
ジャッキー・ボーイJackie BoyはボーカリストのJack Kelly、リトル・ウォルターLittle Walterはマディ・ウォーターMuddy Watersの有名なハーモニカ奏者ではなくウォルター・マンブルズ・ホートンWalter “Mumbels” Horton(リトル・ウォルターが成功した後はビッグ・ウォルターBig Walterとして知られる)だった。

DJ達は好きにならず、発売されなかった。その代わりに、サムはジョニー・ロンドンJohnny Londonのインストゥルメンタルをリリースした(レーベルには「アルト・ウィザードAlto Wizard」とある)が、それはサムが気に入っていた、紛れもない才能を持つアルト・サックス奏者だった。


「Sun 174」はレーベルにある番号で、大して売れなかったが、サン・レコードとしてはある程度商売になった。