レナード・チェスLeonard Chessの方は、ジャッキー・ブレンストンJackie Brenstonのレコ―ディングをしただけでなく、マディ・ウォーターズMuddy Watersと契約したことが成功だったことが分かった。

確かにマディの売り上げはわずかで、ほとんど南部とシカゴに限られていたが、1月になると、「ルイジアナ・ブルースLouisiana Blues」等3曲が全国チャートに載った。
![Muddy Waters – Louisiana Blues / Evan's Shuffle – Shellac (10", 78 RPM), 1950 [r14001059] | Discogs](https://i.discogs.com/GyRg-kenu2efCT3rOtY4N4ThGUkgZSBJm3XprU-cCrs/rs:fit/g:sm/q:90/h:584/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTE0MDAx/MDU5LTE1NjU4MjA5/MzYtMjY1OC5qcGVn.jpeg)
そして年末になると、チェスからリリースされたのは、ハウリン・ウルフの「ハウ・メニ・モア・イヤーズHow Many More Years」と「モーニン・アット・ミッドナイトMoanin’ at Midnight」というすごいレコードで、両面ヒットした。モーニン・アット・ミッドナイトはお化けのような演奏で、言葉のないうめき声で始まり、ハイライトとなるウルフの有名な叫びへと続く(ジミー・ロジャースJimmie Rodgersのヨーデルのような音を意図していると、後にハウリングは語っている)。


「ルイジアナ・ブルースLouisiana Blues」で、ウォーターズはニューオーリンズへ、縁結びのお守りであるモウジョウ・ハンドを買いに行く話をしている。以前はもっと洗練された都会の演奏者が占有していた縄張りは、南部の訳の分からない言葉に取って代わられたのだろうか?
えーと、違うな。特にチャールズ・ブラウンCharles Brownは、「ブラック・ナイトBlack Night」でトップになるヒットだったが、もし重苦しいにしてもハーモニーとしては洗練されていたし、アール・ボスティックEarl Bosticは、素敵なインストゥルメンタルの「フラミンゴFlamingo」で成功した。


その後はボーカル・グループが続いて現れた。それらの経過を追うのは大変なのだが、最初は鳥にちなんだ名前ばかりのようで、レイブンズThe Ravens、オリオールズThe Oriolesの後はロビンズThe Robins、カーディナルスThe Cardinals、


スワローズThe Swallows、ラークスThe Larks、クロウズThe Crowsがいて、クローバーズThe Clovers、


![The Crows – Gee – CD (Compilation), [r19771813] | Discogs](https://i.discogs.com/D7eyYYFLoG04jl8wQn9vRNNBRTJPA0XIxqyAZ6YHj_o/rs:fit/g:sm/q:90/h:598/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTE5Nzcx/ODEzLTE2MjgzMDcy/NTAtMjA0OS5qcGVn.jpeg)
ムーングローズThe Moonglows、ドミノーズThe Dominoesが続き、1951年にファイブ・サテンズThe Five Satinsも登場した。

