この頃までには、自分のことをマディ・ウォーターズMuddy Watersと呼んでいたが、それによって、スライド・ギター演奏法と同様に深南部を連想させた。
![Muddy Waters – Sweet Home Chicago – Vinyl (LP, Compilation, Stereo), [r13456710] | Discogs](https://i.discogs.com/jXLs5qSWZeMNbd6hYDphfv1LRtz7fJCNBr6DofXAl5o/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTEzNDU2/NzEwLTE2NDYzODY1/NzYtODA0OS5qcGVn.jpeg)
グレッチGretschという立派なエレキ・ギターも演奏していて(以前使っていたギターはいつも不具合があった上に、クラブで盗まれてしまった)、友人数名と一緒にレギュラーの仕事に就いていた。

ついに、マディはレコ―ディングする機会をつかんだのだが、そこでセッションを仕切ったのが外ならぬJメイヨー・インク・ウィリアムズ J.Mayo “Ink” Williamsだった。

「ミーン・レッド・スパイダーMean Red Spider」は、ジェームズ・スイート・ルーシー・カーターと彼のオーケストラJames “Sweet Lucy” Carter and His Orchestraの「レット・ミー・ビー・ユア・コール・マンLet Me Be Your Coal Man」のB面で、マディはクラリネットとサクソフォンに埋もれてしまったが、この曲は正に昔からのシカゴ・サウンドだった。

しかしこのセッションで、ある人物に出会い、ギターとドラムを演奏するリロイ・ベイビー・フェイス・フォスターLeroy “Baby Face” Fosterを紹介された。
![Baby Face Leroy & Floyd Jones – Classic Early 1950s Chicago Blues – Vinyl (LP, Compilation + 2 more), 1983 [r3851900] | Discogs](https://i.discogs.com/_rxp_dtQEYuojMDxTqm4wu1mVWNuKqNlR2r0a0CSn_c/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTM4NTE5/MDAtMTYwNDgzMDE0/OS00Mzk3LmpwZWc.jpeg)
マディは既にハーモニカを兼ねる売れっ子の若いジミー・ロジャースJimmy Rogersと一緒に演奏していたが、いったんこのグループの構成が固まると、クラブはファンで一杯になり始めた。

1947年9月27日に、ブルーバード・サウンドを築いたレスター・メルローズLester Melroseと一緒に、スタディオに入り、コロンビア・レーベルColumbia recordsで8曲レコーディングしたが、そのうち3曲はマディをフィーチャーし、残りはほかの二人のボーカリストとのコンビだった。


ピアニストのジミー・クラークJimmy Clarkの曲は発売されたが、マディの曲は数年間リリースされないまま過ぎた。 次のセッションは、3度目の正直だった。この時までに、マディ・ウォーターズthe Muddy Waters―ジミー・ロジャースJimmy Rogers―ベイビー・フェイス・フォスター・バンドBaby Face Fosterによるバンドは、もう一人のアーティストを加えたのだが、それはマリオン・ウォルター・ジャコブスMarion Walter Jacobsと言い、ハーモニカを吹き、ロジャースがミスシッピ州の時から「小さなリス顔の子」として知っていた。




ある朝、自宅近くのマックスウェル・ストリート・マーケットMaxwell Street Marketで、ハーモニカ奏者の演奏する音にベッドを叩き起こされたロジャースは、そこに向かうと、今は大人になっているその子が夢中になって演奏しているのを見つけ、マディに会わせようと連れて行った。