ウィリアムズJ. Mayo “Ink” Williamsは決してブルースが好きではなく、クラシックの方が好きだったが、自分の民族伝統の一部と考えていた。


このため、ボードビルの舞台で演奏する音楽以外に、ブルースを受け入れるようになった。


ダラスにいるパラマウントのレコード販売業者から、たくさんの観客を惹きつけているストリート・パフォーマーがいると教えられたので、ウィリアムズはそのパフォーマーを採用した。
それは賢明な投資で、ブラインド・レモン・ジェファーソンBlind Lemon Jeffersonは並外れた人気があり、1929年にシカゴで謎の死をとげるまでに、パラマウントで100曲近くレコーディングした。

![Blind Lemon Jefferson – Bad Luck Blues / Broke And Hungry – Shellac (10", 78 RPM), 1927 [r1723313] | Discogs](https://i.discogs.com/p78G19kza0EMlhS6dIMZQSSO3PozqtMz9YvAFMMK44g/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTE3MjMz/MTMtMTYyNjI4NTM4/Ni0xODE0LnBuZw.jpeg)
彼の曲でクラシックになったものもあり、「マッチボックス・ブルースMatchbox Blues」は、カール・パーキンスCarl PerkinsとビートルズThe Beatlesが録音している。


それだけでは彼の不朽の名声を主張するには十分でないかも知れないので、ジェファーソンが道を歩くときにガイドとして雇った少年たち「リード・ボーイズlead boys」の中に、アーロンTボーン・ウォーカーAaron ”T-Bone” Walkerとジョシュア・ホワイトJoshua Whiteがいたと言っておこう。


ジェファーソンが成功したことによって、田舎でギターを演奏するブルース演奏者の扉が開かれた。確かなことは何もわからないギターの名手、ブラインド・アーサー・ブレークBlind Arthur Blakeは、パラマウントで80曲近くレコーディングしたが、ジャズやラグタイムの要素を色濃く持ったギター・スタイルを守り、出現と同様に謎のまま消えて行った。
