ベン・E・キングは1960年にドリフターズを脱退し、アトランティック・レコードでソロ・キャリアを積む。
彼は1960年からアトランティック・レコードで2曲のヒットを放つ。 「スタンド・バイ・ミーStand By Me」はビルボード4位、「スパニッシュ・ハーレムSpanish Harlem」はビルボード10位にチャートインした。
この新生ドリフターズは、1959年から1966年まで、アトランティック・レコードに30曲のヒット曲をもたらした。60年代には、リード・シンガーのルディ・ルイスRudy Lewisと共に、キャロル・キングCarole Kingとジェリー・ゴフィンGerry Goffinが作曲した
「サム・カインド・オブ・ワンダフルSome Kind Of Wonderful」がビルボード32位、「フェン・マイ・リトル・ガール・イズ・スマイリングWhen My Little Girl Is Smiling」がビルボード22位、「アップ・オン・ザ・ルーフUp On the Roof」がビルボード5位にランクインした。
オリジナルのドリフターズは、50年代初頭にクライド・マクファターClyde McPhatter(テナー)とビル・ピンクニーBill Pinkney(ベース)を迎えて「ホワイト・クリスマスWhite Christmas」を発表した。
この曲は、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」に次ぐ、クリスマスの名曲となっている。
オリジナル・ドリフターズとニュー・ドリフターズは、史上最高のドゥーワップ・グループであり、ロックンロール誕生のパイオニアでもある。ドリフターズはロックの殿堂入りしている。彼らはパレオ(初期のドリフターズ)とクラシカル(新しいドリフターズ)なネオ・ドゥー・ワップ・グループとみなされている。